<2007年11月16日>
北極エスキモー犬「ライ」は1996年に13歳で、
「オーラン」は2006年に13歳でこの世を去りました。
両者共に大型種としては大変に長寿でした。
彼らにとってはこの森の寒冷気候が不可欠の条件でした。
ライの父犬が北極現地(グリーンランド最北部)のソリ犬でしたので、
誇張でなく、暑さが致命的だったのです。
オーランもそうでしたが真冬でさえ車に乗せる時にはヒーターを止めて、
かなり窓を開けていないと暑がるのでした。
私は強烈に寒かったのですが、しかたのないことです。
オーバーコート(上毛)が長い訳ではありません。
下毛の密度が圧倒的だったのです。コーム(クシ)など通らないほどです。
したがって上毛は荒々しく開立しています。
ライは頭から尾の先まで全身の毛が開立し、力に満ち満ちていました。
まるでその被毛が彼の不屈の精神を象徴しているようでした。
彼には言葉に出来ないほどに多くを学びました。
ライの特徴は余りに独特で、犬の常識が通用しない部分が多いのでした。
雄の北極エスキモー犬は一流の調教師でも訓練不能になるケースが多いのですが、
その当時は私も若かったし自信があったので「犬」として見ていたのです。
しかし私は思い知らされました。「野性のスピリット」を・・・
北極の過酷さと北極ソリ犬の歴史の壮絶さを、その歴史の結晶の不撓不屈の魂を。
そしてまた彼のケタ違いのパワーは、異質な力でした。
重厚な骨格の持ち主でありながら、その動きはフラッシュのように素速いのです。
つまり途方もない瞬発力を発揮するのです。
ですから彼との運動はこの私にとってもハードスポーツでした。
毎日毎日20km。休日には30km40kmの運動に出かけました。
(※もちろん夏場は距離を控えました。時間も選びました。)
25年前の当時は家族はライだけでしたので、存分に運動できたのです。
その頃私は舗装工事の土方をやっていたのですが、仕事の前に朝の運動を済ませ、
仕事の後に夜の運動をしました。重いアスファルト合材の「スコップマン」でしたので、
仕事だけでも重労働でしたが、朝晩のライの運動はそれに輪をかけて大変でした。
しかし一日たりとも休みませんでした。ライが私との運動を待っているからです。
彼は躍動意欲の塊だったのです。しかし、この年月が私を鍛えてくれました。
青年時代に武道を修行しましたが、それとはまた異なる鍛錬を経験できたのです。
(※「運動方法」については別の機会に語ります。)
ライは実に静かな犬でした。ほとんど吠えたことがありません。
彼は「バーク」(犬の吠え方)は吠えず、
重低音の「ロアー」(ウォーという猛獣の声)で私に語りかけてくれました。
誰が来ようと悠然としているのですが、一旦その闘志に火が付くと「猛獣」になりました。
決して興奮せずに自然体のままなのですが、その目は緑色に燃え上がり、
命懸けの覚悟に染まった「北極の闘士」になるのでした。
大きさはトレイニング体重で45kg(肩高70cm)でしたので、相当に大型でした。
(※シベリアンの雄で25~30kg、シェパードの雄で32~37kgくらいです。)
しかし55kgクラスのエスキモー犬もいるので、ライは普通の大型サイズです。
一般的に大型種の「動き」はどうしても中型犬種よりも遅くなるのですが、
ライの動きの切れはその常識を逸脱していました。
大型でありながら鋭い運動感覚に満ちていたのです。
野性界ではスピードがなければ体格も意味を成しません。
北極現地のエスキモー犬は「野生の強敵」とも渡り合うので、
「反射スピード」がなければ生きてはこれなかったのです。
エスキモー犬(グリーンランド北部・カナダ北極圏)の話をすると延々と続いてしまいますが、
幾千年に亘る彼らの苦闘の歴史を想う時、語らずにはおれません。
彼らは人間のために命懸けで尽くしてくれました。
しかし人間はあくまでもクールでした。とことん「道具」と見たのです。
エスキモー犬は非情な扱いを受けながら、それでも人間を助けてくれたのです。
彼らは極限境界を生きながらも、遂に野性の純情を失わなかったのでした。
しかしライの調練は実に困難でした。途方に暮れそうになった時もあります。
彼の豪胆さは、尋常ではなかったのです。
(※これは世間で言うところの「権勢症候群」の問題ではありません。別次元の話です。)
私も若かったので、最初は自信満々で臨んでいました。
しかし「野性の実像」は私の想像をはるかに超えていたのです。
彼の精神の領域は人間の言うところの「精神力」などとは次元が異なる世界だったのです。
私はその時から「真の対話」を目指すようになりました。
ライの父として、真実の絆の世界を目指したのです。
※今日はこの辺で失礼いたします。
**** WOLFTEMPLE ****
北極エスキモー犬「ライ」は1996年に13歳で、
「オーラン」は2006年に13歳でこの世を去りました。
両者共に大型種としては大変に長寿でした。
彼らにとってはこの森の寒冷気候が不可欠の条件でした。
ライの父犬が北極現地(グリーンランド最北部)のソリ犬でしたので、
誇張でなく、暑さが致命的だったのです。
オーランもそうでしたが真冬でさえ車に乗せる時にはヒーターを止めて、
かなり窓を開けていないと暑がるのでした。
私は強烈に寒かったのですが、しかたのないことです。
オーバーコート(上毛)が長い訳ではありません。
下毛の密度が圧倒的だったのです。コーム(クシ)など通らないほどです。
したがって上毛は荒々しく開立しています。
ライは頭から尾の先まで全身の毛が開立し、力に満ち満ちていました。
まるでその被毛が彼の不屈の精神を象徴しているようでした。
彼には言葉に出来ないほどに多くを学びました。
ライの特徴は余りに独特で、犬の常識が通用しない部分が多いのでした。
雄の北極エスキモー犬は一流の調教師でも訓練不能になるケースが多いのですが、
その当時は私も若かったし自信があったので「犬」として見ていたのです。
しかし私は思い知らされました。「野性のスピリット」を・・・
北極の過酷さと北極ソリ犬の歴史の壮絶さを、その歴史の結晶の不撓不屈の魂を。
そしてまた彼のケタ違いのパワーは、異質な力でした。
重厚な骨格の持ち主でありながら、その動きはフラッシュのように素速いのです。
つまり途方もない瞬発力を発揮するのです。
ですから彼との運動はこの私にとってもハードスポーツでした。
毎日毎日20km。休日には30km40kmの運動に出かけました。
(※もちろん夏場は距離を控えました。時間も選びました。)
25年前の当時は家族はライだけでしたので、存分に運動できたのです。
その頃私は舗装工事の土方をやっていたのですが、仕事の前に朝の運動を済ませ、
仕事の後に夜の運動をしました。重いアスファルト合材の「スコップマン」でしたので、
仕事だけでも重労働でしたが、朝晩のライの運動はそれに輪をかけて大変でした。
しかし一日たりとも休みませんでした。ライが私との運動を待っているからです。
彼は躍動意欲の塊だったのです。しかし、この年月が私を鍛えてくれました。
青年時代に武道を修行しましたが、それとはまた異なる鍛錬を経験できたのです。
(※「運動方法」については別の機会に語ります。)
ライは実に静かな犬でした。ほとんど吠えたことがありません。
彼は「バーク」(犬の吠え方)は吠えず、
重低音の「ロアー」(ウォーという猛獣の声)で私に語りかけてくれました。
誰が来ようと悠然としているのですが、一旦その闘志に火が付くと「猛獣」になりました。
決して興奮せずに自然体のままなのですが、その目は緑色に燃え上がり、
命懸けの覚悟に染まった「北極の闘士」になるのでした。
大きさはトレイニング体重で45kg(肩高70cm)でしたので、相当に大型でした。
(※シベリアンの雄で25~30kg、シェパードの雄で32~37kgくらいです。)
しかし55kgクラスのエスキモー犬もいるので、ライは普通の大型サイズです。
一般的に大型種の「動き」はどうしても中型犬種よりも遅くなるのですが、
ライの動きの切れはその常識を逸脱していました。
大型でありながら鋭い運動感覚に満ちていたのです。
野性界ではスピードがなければ体格も意味を成しません。
北極現地のエスキモー犬は「野生の強敵」とも渡り合うので、
「反射スピード」がなければ生きてはこれなかったのです。
エスキモー犬(グリーンランド北部・カナダ北極圏)の話をすると延々と続いてしまいますが、
幾千年に亘る彼らの苦闘の歴史を想う時、語らずにはおれません。
彼らは人間のために命懸けで尽くしてくれました。
しかし人間はあくまでもクールでした。とことん「道具」と見たのです。
エスキモー犬は非情な扱いを受けながら、それでも人間を助けてくれたのです。
彼らは極限境界を生きながらも、遂に野性の純情を失わなかったのでした。
しかしライの調練は実に困難でした。途方に暮れそうになった時もあります。
彼の豪胆さは、尋常ではなかったのです。
(※これは世間で言うところの「権勢症候群」の問題ではありません。別次元の話です。)
私も若かったので、最初は自信満々で臨んでいました。
しかし「野性の実像」は私の想像をはるかに超えていたのです。
彼の精神の領域は人間の言うところの「精神力」などとは次元が異なる世界だったのです。
私はその時から「真の対話」を目指すようになりました。
ライの父として、真実の絆の世界を目指したのです。
※今日はこの辺で失礼いたします。
**** WOLFTEMPLE ****