今日のお話は「物事の本質を見抜くには脳で考えず体で知れ」というお話です。
生まれつき目の見えない人がいます。その人は仮に今まで水というものを飲んだことがない人です。
あなたはその人に「水」とはどんなものかを少しでいいのでわかりやすく説明してみてください。
なんと言ってその水を説明しますか?
・色はどんな色?→透明→透明ってどんな色?→・・・・・
・どんな味をしてるの?→無味→・無味ってどんな味?→・・・・
・においは?→無臭→無臭ってどんなにおい?→・・・・
・形はどんな形?→形がない→・・・・・
このように何を聞かれても水とは何かを説明するのは難しいものです。
ではどうしたら水について相手が少しでも理解できるのでしょう?
それは飲ませることです。
飲めばそれがどのようなものなのかを少しは理解できますよね。
物事も同じです。
Aという物事を理解するにはAという物事を自分が体験し、そしてそれについて考えなければいけません。
世の中には言葉では説明できないことというのがたくさんあります。
このようなシチュエーションもあります。
「なんで君はいつも○○なんだ!!まったくもって理解できん!!」
それもそのはず。その人はその人と同じ境遇ではないからです。
その人の気持ちに立って、なぜその人がそのような考え方をするのかを寄り添って考えることが大切なのです。
すぐに怒りがこみ上げる人がいますが、短気な人ほどこのことを理解できない人なのです。
相手の立場に立って寄り添って考えようということができないのです。
「なんで今日買いたいものがすべて完売してるんだ!!」
というのは自分以外の人たちの気持ちに立って考えれなくなっているからです。
「今日は買いたいものが買えなかったな、もしかしたらみんな早く来て買いに来たのかもしれないな。今度は自分もそうしよう」となれれば怒りなどこみあげる必要はないのですがね。
また、人のために怒るというのは別です。
人のために怒るのは自分のためではないからです。
それこそ物事の本質をつかめています。
しかし、自分がイライラしてるから怒ってしまったというのはその人の勝手な感情であり、相手にとっては不快な気持ちになります。
相手の気持ちになって考えれる人間は誰からも必要とされる人になるでしょう。
