今日のブログでは「アホくさいことをマジ超究極的に考える」をテーマに書きます。
前回、「今が未来を必然的に変える」というお話を書きましたが、
今回のお話はみんな大好き「ドラえもん」の話
のび太はドラえもんがやってきたことによりしずかちゃんと結婚して「せわし」という子孫が誕生する。
しかしドラえもんがやってこなければのび太はジャイ子と結婚する。
ということは、「せわし」は生まれる未来もあれば生まれない未来もある。
しかし、こんな画像を発見した。
セワシいわく、のび太がどこの誰と結婚しようが未来ではセワシは生まれてくることが決まっている。
どうやらのび太がジャイ子と結婚しようが、その子がジャイ子の血筋と結婚してやがてセワシが誕生するという。
だがここで疑問なのは、セワシが生まれるのは絶対だとしてものび太の子が絶対でないのはなぜだろう。
まあ漫画の世界の話だがとても矛盾に感じる。
ここで僕なりに本気モードで研究した結果がこんな感じである。
上に書いてあることはまずありえないのだが
コマの中での説明文に
「大坂に行くとして、どんな乗り物を使っても方角さえあっていれば大阪に着く」と書いてある。
どんな経路をたどっても結果はあるという。
一部あたっているが、
未来はいくつかの結果が存在する。
Aセワシ生まれる
Bセワシ生まれない
Cセワシは生まれるが名前はキンタロウ
・
・
・
このように無限に未来はある。
しかし、わざとセワシを誕生させるためにはものすごい努力が必要である。
秒単位で一寸の狂いもなく、セワシ誕生にむけてのシナリオを実行しなければセワシは誕生しない。
これは、セワシがのび太のもとへドラえもんを預けに行く日が一日でも一秒でもずれればセワシはボツる。
もしセワシがやってくる日が一日ずれたとしてのび太が生きているという保証はない。
しかしこれは絶対に生きている。なぜかというと過去ののび太が次の日を生きているという証が未来では存在しているからだ。
だが、もし一日後ののび太が精神的にイライラしていたらセワシがやってきてドラえもんを預かるといった保証はない。ここはあの瞬間、あの精神状態ののび太だったからこそ受け入れることができた。
しかし、セワシ誕生までの間に起きうるすべての物事、天気、精神状態、言葉が一致しなければいけない。
ちょっとシモな話になるが、セワシの遺伝子がしずかちゃんの卵子に入るその日に、
のび太が歩いていた方角を神のいたずらで変えてしまったとしよう。
そこにたまたまエロ本が落ちててのび太が正常でいられなくなり、ついつい自慰をしてしまったらセワシの遺伝子は排出され、セワシの遺伝子はティッシュの中からのごみ箱行きに。
もうセワシの生まれる日はこない。
つまり、一寸の狂いもなく、セワシが誕生するまでシナリオ通りに事を進めなければその未来は無いということになる。
このように突き詰めて考えると、理想に近づけるためにはその理想につながるための方向性というものを一寸たりとも変えてはならない。
だが時として、回り道をするからこそ理想に近づくこと。理想をはるかに超えること。理想通りになることにつながる。
セワシの言う「大坂に行くとして、どんな乗り物を使っても方角さえあっていれば大阪に着く」というのは当たっているが、完全体のセワシが誕生するか否かは今からの究極の努力によるものである。
こう考えると、ドラえもんとセワシはとんでもないほど努力をしなければいけないことをしているということが考えられる。
というお話でした。
