DD52は911の在来線用4軸動力車

DD52はDD51の800番台に与える予定だった、という説がある。

 

「幻の機関車」で当時の技術者が語っている。

労組との難しい交渉が必要だった、のだそうだ。しかし、難しい交渉が必要だったというのは、なんとも曖昧な表現である。

 

現にDD52なる形式は存在しない。ということは、DD52なる新形式機関車の導入は認められないと労組は拒否、DD51-800番代なら認めよう、ということになる。

 

なんでも、国鉄労組のせいにしておけばみんな納得してくれそう、な気はする。国鉄解体の主目的は労組を潰すためだった、と当時の総理も認めている。しかし、新型機関車開発について、労組のせいにするはどうかと思うのである。

 

労組を擁護する気はない。

 

新型車開発については、先ず国鉄当局へ技術者は話すべきである。次に国鉄当局が、労組の意見を聞くという手順があるはずである。そうしたら、労組から反対されました、というのであれば、話の筋は通る。そうなのだろうか?

 

おかしな点は、新形式を与えるにふさわしい新機構の機関車開発、あるいは現行車両の大幅な仕様変更を行ってないことの説明になっていないことである。

 

小幅の改良なので、同形式の新番号付与で対応したと見る方が、同じような例が多いことから当たり前に思える。

試作機がない

通常ならば、試作機が作られるはずである。DD94になるだろう。

 

テストを重ねて改良され、量産型が作られるだろう。DD52である。試作機はDD52-901と改番されるだろう。

 

試作機(の計画)が出て初めて現場からの導入に対する意見が出されるはずである。存在さえしないものには反対はできない。

 

当時の国鉄では、新形式の機関車導入には前もって労組と協議、了解を得た上で開発していたのだろうか?

 

そのような話は聞いたことがない。常識的に考えて、それはない、と思うのだ。

 

コメントをいただきたい、としたがコメントがなかった。

実は、労組に新型車導入についての意見を聞くことはあった。

 

大幅な運行上の変更がない限りは、現行車で十分ではないか、敢えて財政的に苦しい中、未知数な新型車導入は必要だろうか、と言うのが多くの場合の解答だったそうだ。

 

後のDD54導入後の経過を見れば、現場の意見としては、どうしても保守的にならざる負えないであろう。

 

機関車が動きません。-故障か。

はい。-予備車を回せ。

それも故障中です。

では、運休しよう、とはいかない。公共交通機関として、それは許されない。

歴史的経緯を追う

DD51は、1962年登場である。800番台は1968年に登場している。

 

なお、形式番号や車台番号は必ずしも登場順に付けられるわけではない。制作計画による発注や用途など、番号が跳ぶことはよくあることである。

ディーゼル機関車登場年表

1957年 DF50
1958年 DD13

1960年 DD14(除雪:DD13の除雪機能付き機関車)

1961年 DD13-111、112-(出力強化)

1962年 DD51

    DD15(除雪:DD13-112以降機が基)

1963年 DD20(入換→除雪補機:DD51の1エンジン機)

    DD21(除雪)

1964年 911(新幹線用F型機)

1965年 DD53(除雪:DD51が基)

1966年 DE10

    DD54

1967年 DE10-901(DE11の試作車)

    DE11(DE10の入替専用機)

    DE15(除雪:DE10が基)

1968年 DD51-800番台

1970年 DE51(試作のみ)

    DF51(計画のみ)

 

DD52は貨物専用機の番号として予備されたのかも知れない、その可能性はある。
DD51-800番台がDD52であった可能性を否定しているわけではない。

貨物専用機関車

実は、1968年には、貨物専用機関車が登場している。EF66である。非貫通、単独運用前提の強力機である。

 

特にスタイルが斬新である。今までの電気機関車のイメージを変えてしまった。(EF58を例外とすれば)

 

しかし、このスタイルの先駆けはあった。911である。

 

当然、貨物専用のディーゼル機関車があってもおかしくはない。出力強化型である。せっかくだからスタイルも911のような箱型にしよう、となりそうな気がする。1964年当たりならば、そういう計画が立てられたかもしれない。

 

翌年にはDD53が登場している。単純にDD51の除雪型であるから、これがDD52でもおかしくはない。しかし、1番抜かしているのだ。

 

貨物専用型が計画されたのかな、と考えるのは自然だと思う。

 

外観の変化だけでは新しい形式にする必要はない。DD51の外観のままでも良い。となれば、出力強化がなされた、がそれは無理だったということになるだろう。

 

高出力のエンジンは何とかできるが、その高出力を動輪に伝えるトルクコンバーターがネックになったのではないか。それで、とりあえず欠番としてその開発を待つことにしたのではないかと思える。

 

当時の日本にはそこまでの技術力はありませんでした、となると、

「じゃぱんいずなんばーわん」でないと気の済まない技術者や一般日本人にとって、受け入れがたい事実だろう。

それならば、罪を適当なものに擦り付ける必要も理解できる。

DD51一族の運命

国鉄はDD51を基本とした目的別の機関車を作り運用しようとしていた。それが、DE50DE51DF50DF51である。DE50DE51は試作され、テスト結果も良好であったが、量産化はされなかった。DF50DF51は計画のみに終わった。

 

理由は、国鉄にはもはや潤沢な資金は残っていなかったからである。

 

かくして、DD51のみが延々と生産されることになった。昭和-平成のベストセラーディーゼル機関車の誕生である。

 

 

令和となり、いよいよ定期運用が無くなるとのことである。しかし、海を渡って活躍するものもいる。

 

ただし、現物だけで、運用のノウハウを伝える技術者がいない場合があり、放置状態の個体もあるそうだ。

 

日本からボランティアで技術指導に当たっている団体があるようだ。知らなかった。声援だけになってしまうが、応援します。

DD50の絵修正

 

運転室ドアへの梯子がついてなかったのでつけました。あと、ライトも土管型にしました。

 

キャットウォークの表現は省略してあります。ブレーキシューも描きこめず省略しました。

 

ご利用の際には、引用元「富士レトロトランス」の表示をお願いします。