DD50はF9の模倣機?

F9はアメリカのEMGが、1954年から1957年まで制作した電気式ディーゼル機関車。本来は貨物用だが、旅客列車にも使用された。旅客用はFP9という別形式でも存在する。

 

EMGのFシリーズはアメリカ型ディーゼル機関車の代表として模型や映画でよく知られている。

 

ブースター機関車

F9にはAとBの2種類がある。Aは普通の運転席付きの機関車。Bがブースター。ブースターとはエンジンだけの機関車。運転室がないのでAと重連で使用される。

 

長大な貨物列車の牽引では、A+B+B+Aの4重連で使用されることもあった。

 

日本ではブースターは作られなかった。通常の機関車の重連運転で十分だったからだ。

 

2重連が最高で、それ以上機関車が繋がることは補機としての運用の場合で、初めから3重連、4重連での運用はなかった。

DD50の開発

1953年に一次型が登場した。

 

非電化の幹線の無煙化のためには、ディーゼル化が急務だったが、いかんせん日本には、大型ディーゼル機関車の歴史がない。

 

スイスのスルザー社から技術供与を受けエンジンを製造した。

 

スタイルは、斬新な湘南型!大型2枚窓の傾斜した正面を持つ。

 

改良型の二次型が翌年製造された。昭和20年代の最後を飾るに相応しい。

開拓車(者)の使命

DD50型は僅かに3+3の6両しか作られなかった。

 

背中合わせの重連で使うことが前提だった。十分な性能を発揮した。

 

問題は制作費となった。1両で間に合わせたい。かくして、DF50が開発された。DD51が後に続く。

北陸線で活躍

期待通りの性能を発揮するDD50は北陸線で運用された。貨物は勿論、旅客列車にも使用された。

 

旅客列車の場合、問題があった。

 

冬場、使い辛いのだ。蒸気暖房装置がついていない。車体が小さいので、水タンクが載せられない。

 

冬は暖房車を繋いで客車を引っ張った。(DF50は蒸気暖房装置付き)

DD52仮説

まだ現役で頑張るDD50にもSG(蒸気暖房装置)を、また常に予備機扱いは勿体ない。(3両ずつ製造されたが1両は予備とされた。)

 

予備機も連結して強力機にしよう。DD51には負けられない。

 

かくして・・・

 

DD50の予備機を改造してSG付運転室無しのブースターとして計画されたのが、DD52なのだ。

 

と、考えるのも悪くはない、と思う。(つづく)