新幹線開業55周年

幻のオリンピック

来年2020年に再び東京オリンピックが開かれる予定です。前に東京で開かれたのは、1964年。それから、56年。2回目となります。若い人は知らないでしょう。

 

実は、東京オリンピックは1940年に開催される予定でしたが、日中戦争の激化により開催を返上した経緯があります。結局、第12回オリンピック大会は開催地を変更したものの、第二次世界大戦勃発により開催されることはありませんでした。

幻の弾丸列車

オリンピック返上の原因となった中国との戦争で軍需物資輸送の増大から東京~下関間での鉄道輸送強化が急務とされていました。1940年からは同区間に「広軌幹線鉄道」の建設が開始されました。大陸連絡用ですから、当時の朝鮮、満州の鉄道へ直接乗り入れられる標準軌による専用鉄道路線です。

 

用地買収、建設も当時の鉄道省により開始され、太平洋戦争激化により中止されるまでは新丹那トンネルなどの工事は続きました。

 

しかし、敗戦によりこれらの計画は放棄されることとなりました。

東海道新線の建設

1957年、東海道線の輸送力がほぼ限界に近いことから、東海道線の輸送力増強の検討が開始され、翌年には標準軌による独立路線としての基本計画が立ち上げられました。新線建設が決定したのです。

 

1959年4月20日には、東海道新線の工事が始まりました。完成は、東京オリンピックの開催される1964年10月1日とされました。僅か5年で東海道新線を作ろうというわけです。複線、オール電化、高架路線と工事としては今までにない予算のかかるものです。

 

このため、戦前の弾丸列車計画で取得していた用地、施設を極力流用することになりました。これらもあって路線工事は順調に進み、また、高速新性能電車も開発に成功しました。

新幹線開業

1964年10月1日、「新幹線」と命名された東海道新線は営業を開始しました。英語版のパンフレットには、「Bullet train」とありましたが、「Shinkansen」のほうがふさわしいです。戦前の「弾丸列車」と「新幹線」には、直接の関係はないからです。建設のために流用したものは多いですが。

 

建設時と開業当初は、新幹線は「そんな金持ちのための電車なんて」と言われ、実際開業当初の利用率は50%を切り、華々しいものではありませんでした。

 

しかし、未来への明るい希望となる夢の実現は、オリンピックという平和な時代の祭典と重なって、じわじわと新しい時代の交通手段として受け入れられるようになっていきました。

 

0系新幹線

 

祝開業55周年 東海道新幹線