解体を待つ8620(1970年頃・佐賀機関区)

 

この蒸気機関車も、大正生まれながら結構生き残っていた。多目的機関車の代表で、客・貨車牽引、入れ換え等に使われた。

 

DD13、DE10がその仕事を引き継いだわけだが、最後まで入れ替え作業に従事していた。

 

一線を引退しても蒸気機関車は、機関区の詰所の隣の線路に留め置かれて、ボイラとしてその寿命が尽きるまで使われた。

 

KATOはC50にご執心で、8620には、とんと関心がない。Nでもマイクロエースが模型化したくらいで、他に製品はないようだ。

 

8620とC50は、動輪の大きさも同じ。大きさもほぼ同じ。出力もほぼ同じ。とりあえず近代化してみました。性能は特に向上したわけではない。この程度の改良ならもっと早期に行えたはずで、登場が遅すぎた、と現場では言われた。8620でも間に合う。そのため、C50は両数も少なく8620より先に姿を消してしまった。動態保存機はない。なるほどKATOのC50のみが動くわけだ。