8 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。
9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。

10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」

13 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。
14 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」

15 御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」
16 そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。

17 それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。
18 それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。
19 しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。
20 羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

 

クリスマスイブの朝を迎えた

実のところ、私はそこまでクリスマスというイベントそのものには、何ら思いを持たない

ただ、クリスチャンになってから参加した伝道活動の中で、クリスマスほど世の中にイエスを理解してもらいやすい時期は無い、と刷り込まれて、私自身もそうだと実感しているから、その上では大事なイベントであると思っている

 

イエス・キリストが人としてこの世に生まれて来られるにあたっての出来事が今日のみことばだが、このことを私はクリスマスなのだと仮定している

時節という意味ではなく、イエスが来られた、という点で

 

世界に影響を与えることになるこのイエスの誕生が、実に質素であったことをあらためて覚えたい

 

その神がヒトとなってこられるイエスの到来がまず伝えられたのは、羊飼いたちだ

当時、羊飼いが社会的にどのようなポジションであったかと言えば、貧しい労働階級で一般には教養もなく社会的発言力もない人たちだった、とされる

そして、宗教的にも安息日を守るだとか律法を守るだとかからは縁の遠い人たちであったことも特筆しておくべきだろう

社会的に見下されるような人たちだった、そう言えるその羊飼いに、イエスが来られることが最初に伝えられた

 

なぜだろうか

それは、イエスによってもたらされる”救い”、つまり、死に打ち勝つその神の力の現れは、社会の身分だとか功績だとか、そういうものに拠らないという証明だ

 

そしてこのことが伝えられたその時にあらわれた天の軍勢

今日、この理由を考えた

神学的にどうかとか、私にはわからないのだが、これは一つのファンファーレに聞こえるのだな

ファンファーレと言うのは、王の即位を祝ったりするのにラッパが吹かれたりするあれだが、このファンファーレの意味合いはちょっと違うものだ

 

栄光が誇示されて、上の方で輝いているというようなものではなく

世的に下の下(羊飼いに失礼なのだが)の所へと、実際に栄光が下りて来られるようなものだろうと

なんだか、逆なのだ

 

これ以上は、もう言葉で表現することは難しいが、私には、世の常識がひっくりかえる、大逆転のファンファーレであったことを、しっかりと覚える時だと思える

 

イエスがもたらされた救いは、身分が高く、宗教活動に熱心で、権威があって、善行を続ける人、だけではなく、全ての人、下の人から根こそぎ全人類のためのものであるということだ

 

そうすれば、どうして人を見下したり、差別をしたり、排除したりできるだろうか

神は、ここまで目を配り、愛しておられたこと、愛しておられることを覚えなければならない

私には、そういうクリスマスイブだと思う