1 私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯すことがあれば、私たちには、御父の前で弁護する方がいます。義なるイエス・キリストです。

2 この方こそ、私たちの罪のための—私たちの罪だけでなく、世全体のための—なだめの供え物です。

3 もし、私たちが神の命令を守るなら、それによって、私たちは神を知っていることがわかります。

4 神を知っていると言いながら、その命令を守らない者は、偽り者であり、真理はその人のうちにありません。

5 しかし、みことばを守っている者なら、その人のうちには、確かに神の愛が全うされているのです。それによって、私たちが神のうちにいることがわかります。

6 神のうちにとどまっていると言う者は、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。

7 愛する者たち。私はあなたがたに新しい命令を書いているのではありません。むしろ、これはあなたがたが初めから持っていた古い命令です。その古い命令とは、あなたがたがすでに聞いている、みことばのことです。

8 しかし、私は新しい命令としてあなたがたに書き送ります。これはキリストにおいて真理であり、あなたがたにとっても真理です。なぜなら、やみが消え去り、まことの光がすでに輝いているからです。

9 光の中にいると言いながら、兄弟を憎んでいる者は、今もなお、やみの中にいるのです。

10 兄弟を愛する者は、光の中にとどまり、つまずくことがありません。

11 兄弟を憎む者は、やみの中におり、やみの中を歩んでいるのであって、自分がどこへ行くのか知らないのです。やみが彼の目を見えなくしたからです。

 

聖書を2度目、3度目を反復していくたびに、クローズアップされたのは信仰の兄弟への愛

そして、それは自分がそのようにするのではなく、誰かからそのような態度を示されることで証されてきた

 

光の中を歩む、闇を照らし出される、が今年のテーマとなったが、もう一つは私が証となれるように兄弟への態度を示す番だと思う

 

何ができるかはまだわからない

しかし、福音を共有する限り、兄弟たちへの敵意はもちろん捨てて、受け入れ”続ける”ことではないかと今は思う

これが今年のもう一つのテーマに