こんばんは~あつあげです、ご訪問ありがとうございます♪(^^)/
今日も天気が悪く更新のネタはないのですが~、何かアップしたくなったので適当なテーマでアップしました(;^_^A
でも昔の車はデザインが何かいいんですよね~(^^)/
今日のお姉さんは可愛く描けたのでいいんじゃないんでしょうか~(;^_^A




ボンデお姉さんシースルー版 (;^_^A

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Audi 100 3代目(1982-1992年)C3系。
Cd値0.30の空力ボディで大好きです♪(^^)/
マツダがこれによく似たデザインで出しましたね~(;^_^A;

Audi 200。これは100のシャーシをベースに、ターボ過給された2.2L 5気筒(170馬力)エンジンを備え、それに応じて足回りも強化したモデル。

Audi 80 2代目 B2 。本国では1978年9月(日本では1979年)にフルチェンジした。デザイナーは初代と同じくイタルデザインのジウジアーロで、2ドアと4ドアの2種類が用意された。
バブルの頃のクリスタル族(田中康夫氏の小説、何となくクリスタルが流行った)が多く乗っていた(;^_^A このデザインもカッコイイですね~(^^)/

このデザイン好きです♪(^^)/

VW シロッコ。
1974年、ロングセラーとなっていた乗用車・ビートルに代わる乗用車としてゴルフIが発売された。ビートルをベースとして1950年代以来生産されてきたクーペモデル、カルマンギア・クーペの世代交代もまた不可避となり、初代ゴルフをベースに開発され、初代ゴルフに数か月先立つ1974年3月に発売された。
メカニズムはゴルフをベースとしていたが、より低い車高とスポーティーな操縦性のために大幅に手が加えられていた。長いノーズ・大きく傾斜したフロントスクリーン、短くカットされてスポイラー風に処理されたファストバックテールが斬新なスタイルは、パサート・ゴルフIなどの一連の新世代フォルクスワーゲン車同様、イタルデザインのジョルジェット・ジウジアーロのデザインであった。
同僚の染ちゃんが乗ってました。蓼科にナンパに行きましたね~(;^_^A

VW カルマンギア。
タイプ1(ビートル)をベースとした「1200」(タイプ1、タイプ14とも。のち排気量拡大)が1955年7月に発表され、その後タイプ3をベースとした「1500」・「1600」(タイプ3、タイプ34とも)が1961年に発売された。クーペモデルをベースに、オープンボディとなるカブリオレモデルも製作されている。

BMW 2002 turbo。
1973年発表。通称「マルニターボ」。ボア×ストローク89.0×80.0mmで総排気量1,990ccの水冷直列4気筒SOHCエンジンを搭載し、圧縮比を6.9:1に低め、クーゲルフィッシャー製の機械式インジェクションと独KKK社(Kühnle Kopp und Kausch)製のBLDターボチャージャーを装着することで、170hp/5,800rpm、24.5kg-m/4,000rpmを発生。BMW2002tiiに対して30%もの出力アップを果たした。
トランスミッションは4速と5速のMTが用意されており、ギアレシオはBMW2002tiiと同様に4速が3.746/2.020/1.320/1.000、5速が3.368/2.160/1.579/1.241/1.000とされた。最高速は211km/hと、当時同社のBMW3.0CSと同等の数値を記録した。

Mercedes-Benz W201 190 2.3-16v
当初は排気量2,000 ccのエンジンのみを搭載していたが、後に排気量が異なるエンジンが搭載されるようになると、それらは「190E 2.3」「190D 2.5」のように実排気量をリットル単位で末尾に併記する方式で区別された。ただし、排気量2,300 ccのエンジンには通常の8バルブ仕様と高性能な16バルブ仕様が混在していたため、後者には末尾に「-16」が付加されて「190E 2.3-16」と表記される。
フォードコスワースの技術協力で造られたハイパワーエンジンで、数々の記録を達成した。

Mercedes Benz 500E 。
アメリカでR129型の500SLが発売され人気となった。すると、500SLの4ドア版の要望が出されたことからミディアムクラスに500SLのエンジンを搭載することにした。その開発の際に当時経営不振だったポルシェに依頼したことから、ポルシェとの関係が非常に深いモデルとされている。チューニングはポルシェのバイザッハ研究所が担当した。パフォーマンスは最高ながら非常な高コストになってしまったため、ダイムラー側では市販するか否かかなり悩んだが、結局少しだけパーツをコストダウンした。

メルセデス・ベンツ・W126 560 SEC。
メルセデス・ベンツ・グループがメルセデス・ベンツブランドで展開しているSクラスの、2代目モデルである。W126はそのコードネーム。1979年から1991年まで製造・販売された。コードネームW116の「開発発展版」とも呼ばれ、内外装ともに似ている部分が多く存在する。
派生モデルとしてクーペタイプのSEC(C126)が登場している。なおロングボディ仕様には別途「V126」というコードネームがあるが、通常はそれも含め「W126」と呼ばれる。
クーペボディーがカッコイイですね~♪(^^)/

ポルシェ928(Porsche 928 )は、ポルシェが1978年に発売したスポーツカーである。スポーツ性能とラグジュアリー性を兼ねた車両として企画され、生産された。928は一部の911オーナーも取り込むことに成功した。
1973年当時のポルシェの社長である、エルンスト・フールマンが、ポルシェ・911に代わる新たな主力とすべく、当時、911よりも上級であったジャガー・Eタイプやアストンマーティン、フェラーリの12気筒モデルなどのプレミアム・スポーツ、また高級パーソナルクーペのBMW・6シリーズやメルセデス・ベンツ・SLクラスなどをターゲット視野に企画、開発され、1977年3月に新世代ポルシェのフラグシップとして登場した。 駆動ユニットは自社製のV型8気筒エンジンをフロントミッドに搭載したFRで、トランスアクスルが採用され、車重の理想的な前後配分に貢献している。911とは対照的にエンジンは水冷で、コグドベルト駆動、ハイドローリック・タペットなど当時の新鋭技術を満載している。燃料供給は当初ボッシュKジェトロニック。
トランスミッションは5速MTまたはメルセデス・ベンツ製3速ATが選択できたが、日本では初期型の928及び928S、またマニュアル専用の928GTを除いてAT搭載車が圧倒的に多い。928S4からはATが4速になっているが、通常は2速発進からの自動変速となるDレンジを選択、登坂などは1速ホールドとなるGレンジを選択する。
旋回中にかかった横荷重により、外側後輪が機械的に最大2°トーをイン側に向けてリアのコーナリングフォースを安定させ、従来モデルよりも安定した旋回が出来るようにした「ヴァイザッハ・アクスル」(Weissach Axle )が採用された。この考え方はその後の日本車に搭載された4WSや、メルセデスベンツが190Eから採用したマルチリンク式サスペンションに大きな影響を与えた。


Fiat Abart 595 。
アバルト(Abarth)は、ステランティス N.V.におけるイタリアの自動車子会社である。
1949年、トリノにて設立され、主にフィアット車を用いての自動車競技への参加、自動車部品や改造車の販売などを行っていた。
1971年にフィアットに買収され、その後は同社の自動車競技部門としてフォーミュラカーやラリーカー、ツーリングカーの各マシンの開発に携わった。

フィアット・X1/9。
X1-9(エックスワンナイン)は、フィアットが生産したフィアット128ベースのスポーツ・スパイダー。1972年11月26日にイタリア・シチリア島のタルガ・フローリオコース上にて発表。1982年3月からベルトーネに販売権を移行し、1989年まで生産された。量産ミッドシップスポーツカーのパイオニア的存在です。
フィアット・850 スパイダーの後継車種として、ベルトーネが提案したアウトビアンキ・ランナバウト(1969年)を原型としている。
フィアットは具体的にX1/1として開発を進めていた初のFF車、128(1969年発表)のパワートレインをベースとし、850スパイダーの後継車として北米マーケットをターゲットとしたスポーツ・スパイダーをベルトーネに提案させる。フィアットはFFとFRの2案出すように依頼したが、ベルトーネはFF車とFR車、3番目にMR車を提案した。ヌッチオ・ベルトーネにはスモール・ミウラを作りたいという野望があってミッドシップ案を押したが、フィアットの首脳陣は大量生産として可能性の高いFF車を選んだ。しかしモータースポーツ好きでもあった当時のフィアット社長であるジャンニ・アニェッリによりミッドシップ案で決定した。
このプロジェクトはX1計画の9番目となり、ベルトーネのもとで開発が進められた。ボディスタイルのみならずランチア・ストラトス同様、ホイールベースから全体のディメンジョンにいたるまでを、当時のベルトーネのチーフデザイナー、マルチェロ・ガンディーニが決定した。シャーシ構造などはフィアット技術部のプレオ技師が担当し、走行テストなど、サスペンション開発、パワートレーン系でコンサルタントとしてジャンパオロ・ダラーラが参加した。北米向けの厳しい安全規定へ対応させるため、それまでフィアットのスパイダーモデルに採用されていた伝統的で軽快なソフトトップは不採用となったが、取り外してフロントトランクへきっちりと収納できるタルガトップは、ガンディーニらしい良くできた設計であった。


ランボルギーニ・ガヤルド 。
かつて1973年から1989年にはランボルギーニには「ベビー・ランボルギーニ」と呼ばれる一連のV8エンジン搭載車種としてウラッコ、シルエット、ジャルパがあった。しかしコンセプトカーの1987年マルチェロ・ガンディーニのP140、1995年イタルデザイン・ジウジアーロのカラを除いて、フラグシップの12気筒(ディアブロ)以外の車種はラインナップから外れていた。1998年にはランボルギーニはフォルクスワーゲンAG傘下になり、ガヤルドは外観デザイン、V10エンジン等多くの機能をカラをベースに設計され、2003年にフラグシップ以外の車種として久しぶりに発表された。スタイリングはムルシエラゴと同様に、ベルギー人デザイナーのルク・ドンカーヴォルケによって主導された。車名は18世紀のスペインの闘牛飼育家であるフランシスコ・ガヤルドから採られている。
ランボルギーニ社はガヤルド以降のモデルを全てAT (DCT) 車に変更する方針のため、最後のMT車となった
ジャガー・XJ220とは、イギリスのジャガーが発売していたミッドエンジンスポーツカーである。
名前の由来は、最高速220マイル/h(約354km/h)を目標としていたことによる。
元々はジャガー社内の技術者たちが、サークル活動の一環として開発したものが発端となっている。1988年のバーミンガムモーターショーにてプロトタイプが公開された。
ボディパネルはアルミニウム製で、シャシーはアルミハニカムをアルミ板で挟んだパネルによるモノコック構造。フロントには可変式のスポイラーを装備。サスペンションは、ダブルウィッシュボーン式を採用し、レーシングカー並みのセッティングを施していた。
ボディのデザインは、幻に終わったレーシングプロトタイプ「XJ13」をモチーフとした。インテリアはコノリーレザー製高級レザーハイドのトリム、ウィルトン製ウールカーペットなど、そのレーシングカーに準じた性能とは裏腹にジャガーらしい豪華なものであった。

