I’m書こうかと思うことが出てくるとこれを開くわけだけれど、なんかあれだな、女の話が多いなと思いつつ書き始めた。ということは女の話なわけだけれど、去年別れた彼女Rの話だ。

 

Rとはコロナ禍の2020年に一緒になり始めて、すぐにうちに住み着くようになった。15も離れているので当時は19歳で、別れた時は23歳だった。一緒に暮らした3年強の間に犬を3匹飼い始めて、彼女はそれらが本当に大好きで大切にしていたわけだけれど、すべて置いて出ていってしまった。彼女が住んでいたのは僕の家だったし、金銭的なことをいえば犬は僕が買ったものだから、彼女からすれば自分がどれか引き取るなどとは言えた立場ではなかったのかもしれない。それでもあれだけ大好きだったワンちゃんたちを置いて出て行ったのだから、それだけ僕から離れたかったと、理屈で言えばそうは言えるのだろう。

 

僕の方からは、どれか1匹ぐらい引き取ってくれないかと提案したのだけれど、彼女の方は実家にいて、両親の許可も降りず、これから仕事を探して生活が安定したら引き取りたいという。その言い方に頭がきた僕は「自分が自分の都合で出て行ったんだから、どんな形であれ今すぐ引き取れ」と厳しいことを言った。いや、僕にすれば厳しいことではなくて、犬たちに罪はないのだから僕一人で面倒を見て、世話自体はできても愛情が分散するくらいなら早く彼女に迎えにきて欲しいと、そういうつもりで言った。しかし彼女の方は、親の許可が降りない、仕事も見つかってないし、お金もない、の一点張りで、それに対して僕は「大人なんだからどんな形でも自分の尻拭いは自分でしろ」「一人暮らしする金が今ないというなら親に頭を下げるなり、借金してでもワンちゃんの幸せを一番に考えろ」「お前がお前の都合でやったことだろう」と追い詰めていった。

 

15も年下の女性に厳しすぎると言われるかもしれないが、彼女はもう大人だし、上に挙げたような理由は理由にもなっていない言い訳だし、何より、僕は僕であったらそういう無茶をしてでも自分で尻拭いをする人生を歩んできたという気持ちがあったから、彼女のいうことは所詮親なり僕なりに甘えて生きてきたことに自覚のない人間の甘えでしかないという憤慨があった。

 

思えば、僕が女性とお別れする遠因の一つには、付き合った当初とその後の僕とのギャップがあるのだろうとは思う。最初に会った時には人当たりがよく、穏やかで、相手からすれば「この人は話も聞いてくれそうだし、優しくて一緒にいてストレスがなさそうだ」と、そういう印象なのだろう。でも僕は自分の生活においては信じられないくらいストイックな人間だし(酒は飲むけど)、隣にいて窮屈だろうし、若い時にはそれを相手に押し付けたこともある。流石に今では他人は他人と思って相手に押し付けるようなことはないけれど、それでも隣にいると僕の異常な拘りや努力がとにかくプレッシャーなのだと。彼女の場合は大学院に進学しようとして、受験に失敗し、就職活動に切り替える気力もまだ回復せず、一方傍では僕が博論を書いている最中だった。彼女は家事が割と好きで僕のことを色々と支えてくれて本当に有り難かったのだけれど、でも僕とて20年近く、東京で一人で暮らしてきたわけだから彼女のことを必須とは思い切れず、それが彼女にも伝わった部分はあったろう。つまり、彼女は自分の存在意義を僕との生活に見出せなかったわけだ 。実際、僕は心のどこかで彼女のことを甘いと思っていたし、口に出さなかっただけだからあながち彼女の実感は間違っていない。

 

結局、犬はすべて僕の方で面倒をみることにして、最後にその連絡をとってもう4ヶ月程度になるわけだけれど、なぜ今になって彼女のことを思い出すかというと、彼女のLINEとInstagramのアイコンが未だに一度彼女が引き取る話になっていたワンちゃんだからだ。彼女がヨリを戻したいと思っているかはわからない、というか、そこまでは思っていないだろう。それでも彼女がアイコンを変えないのは一種の意地というか「私はあくまでもあの子のことを忘れていない」という表明というか、その程度のことだと思う。いずれにしても僕はそれを見るたびにイラッとさせられる。彼女がこのワンちゃんと一緒になる方法などもうないし、あるとすればうちに戻ってくるしかないのだけれど、それを言ってくるつもりは持ち合わせていないくせに、小さな意地だけは残しているからだ(戻ってこられてもこちらは嫌なのだけれど)。要するに、人間の小ささに虫唾が走るというか、神経を逆撫でされるのだ。

 

しかし彼女が本当に戻ってきたらどうするか。僕は彼女と3年以上一緒に生活して、そして別れてみて改めてわかったことが結構あって、それは誰かと一緒にいて得られるものと、それによって失われるもの、それに対して一人でいることで得られることと失われるもの、その価値を天秤に掛けた時にやっぱり今のところの僕は一人でいることを選びたいのだということだ。小さな例を挙げればこのブログの文章もそうだし、酒を飲む時間もそうだし、一人でいれば適当な女性を見かけた時にもいつも「あの人素敵だな」と思っていられる。よくも悪くも、人は結果を出すことで限界を迎えるし、可能性を狭めるのだと思ってきたけれど、今回は特にそう思う。ついでに言えば、僕は彼女に「好き」「愛してる」「付き合って」「彼女(恋人)」といった類の言葉を使ったことがない。そういう結果の出し方は関係をおわらせる方に向かうと思うからだ。

 

あのアイコンを見るたびに僕は苛々して、「やめてくんねえか」と言いたくなるのだけれど、僕はいつもその衝動を抑えて、今日もそれを抑えた勢いでこれを書いている。大体にして結果、これについて言えば「俺のワンちゃんのアイコンをお前が使うな」と啖呵を切ることは、今の快適な状態をおわらせることを経験上知っているからだ。もっと言えば、彼女があの時、僕との別れを告げたのはそういうヤケクソの一種だったのだとも思う。特に女性はすぐヤケクソをする。今を変えたければ変える努力をすればいい、でもそれをしないで、不機嫌になったり、喧嘩をふっかけたり、別れを切り出したりする。こちらはそれに付き合わずに出てってもらったわけだけれど、要するにそういうことなのだ。そういう未熟さが、僕は我慢ならなかったのだと思う。頭が悪そうで。