昨日は某駅から大学まで歩いてみた。通常ならバスで20分ちょっとのところ、1時間以上かけて。
一年ほど前に今の彼女と付き合いはじめてから、あまり一人の時間がなくなってしまったので、イヤホンもせず、ただなんとなく風景を視野に収めながら歩く時間は貴重になった。ああいい気持ち、一人っていいな、などと思いながら、しかしいざ一人になると不便もおおい、何につけても万事いい具合とはいかないもんだと、なんとかならんもんかと、思いつつ、こうやって折り合いをつけるのが人生だしな、とやるせない気にもなる。
彼女と生活リズムを共にしているので、というより、彼女に合わせることで自由すぎる研究者としての欠点を補おうとしているので、仕事については割と調子がいい。つまり、サラリーマンと同じように朝起きて、職場に行き、彼女の定時に合わせて帰る、ということをしているので、仕事は自然と捗る。これがないと僕は間違いなく昼夜逆転して、授業や会議がある時間に合わせて大学に行って、遅めに帰宅し、酒をあおってしまう。犬の散歩と軽い運動くらいはするだろうけど。研究も仕事もそれなりに捗るものだから、実社会的には安定しているが、ふつふつと煮えたぎって噴火を待つ火山のようなものが自分の中に生まれるのをうっすらと感じないでもない。型にハマれば安心だ。しかし安心が安寧を産むとも限らない。囲いは囲むためではなくて、得手して飛び出すためにあるのかもしれない。
そんなわけで一人の時間が少ないので、あと仕事が週末も含めて忙しいものだから、なかなかこういうところにモノを書くことができないでいた。時間がない、というのもあるけれど、何か人と一緒にいることで自分の書く意欲というものが削がれるような、自分自身が削られているような感じがしないでもない。とかく、自分は一人の時間で、適当に何かを考える時間が必要で、思索からはみ出したいものはしゃべったり書いたりしないと気持ちが悪い。でも最近はそれができない。博士課程の頃の指導教官が「孤立はいけない、しかし孤独は悪いことではない」と飲み会で言ったのに対して、僕が「孤独は何かを育みますから」と返したら、先生は「それはいいな、何かってのがいい」と喜んだのを思い出した。孤独は力だ。でも多くの人はそれがわからない。当然、彼女もわからない。
しかし、ここ数ヶ月は高校野球に熱中したこともあって、かなり気が晴れた。母校が甲子園に行ったし、それだけでも満足なのに、秋の大会も勝ち進んでいいところまで行った。ピッチャーがかなりいい選手なのだけれど、センバツほぼ当確となる最後の一戦で打ち込まれてしまった。それまで予選ではほとんど点を取られていなかったのに。
画面越しに涙を流す17歳の彼を見て、まあ、勝ちまくって得られるもんなんてたかが知れてるしな、本当の意味で勝つのはこれからだよキミは、なんてことを思った。もっと言えば、この大事な一戦で負けてしまったのは、これまで負けなさすぎたせいだとすら思う。負け方を知らなかったから、大事なところで勝てなかったのだと。そしてこの負けがいつかの勝ちに繋がるのだとも。
まあしかし、7月から11月までほとんどの試合を投げ抜いて疲れや衰えを見せなかった彼は、今後張り詰めた糸が切れて長めの脱力期というか、無気力期に入るだろう。ちょうど季節は冬になる。投げないなら投げないでいいし、逆にいい冬にしたらいい。何においても良い時というのは短くて、仕込みの辛い時期が長いもので、だから成功を手放しに喜ぶのは愚かだし、本当に楽しむべきは努力している時間なのだということもある。自分なんかは、調子のいい時は「ここがピークかもしれんな」と思ってちょっと不安になったりする。いい時というのは悪い時の前触れに決まっているからだ。
そんなことを考えていたものだから、悪い時を楽しむという考え方、それから冬という考え方で色々当てはめたらどうかな、なんてことも考えていた。
例えば今年の夏の自分の研究でいうと、科研費申請その他のために高度集中状態に入っていたわけで、研究においてあのモードに入った時は一番調子のいい無双状態の時だったりする。大体ピークはどこかで過ぎて無力になり、今ちょっと心身ともにだらけて惰性で仕事をしている。言うなれば、いま僕の状態は「冬」だ。じゃあピークは「秋」と表現するのがいいのかな、確かに「実りの秋」というしな、季節が短いっていうのも言い得て妙だ、などと。
となると、その前の夏はなんだろう。研究でいうと、論文が一気に形になるタイミングを「実りの秋」だとすると、じゃあ書くための材料が揃って来る時期か。この段階ではまだ論文の形自体はできていないから、材料の多さに自信がついてきたけど、まだ手探りという感じ。まあ緑が生い茂り虫が顔を出し、賑やかなイメージではある。
じゃあ春は、というと、もはや「無」だ。何もない。材料も揃っていないし、構想ぐらいは立てているけれど、動き出せていない。だいたい「長い冬を超えて」「国境の長いトンネル…」とかよくいうように、冬とは長いものだというのが相場だから、春になったばかりの段階では自分の変化には気づけていないものかもしれない。しかし、種を蒔く季節、と思えば、何かどこかしらには向かい始めていて、そういう兆しみたいなものは自分の中にも気づき始めていたりするんだろう。
というようなサイクルを考えていたら、自分の半生書き起こして季節に照らし合わせてみようかな、とか、研究では考えたけど、自分と野球、とかでも考えてみようかな、とか。すごく短いスパンの何かで考えてもいいか、とか色々なことを思いついた。人間関係でもいいかも、彼女とか、夫婦とか、友達とか。いま、久しぶりにブログを書こうと思えたのも、何かの春か夏か、知らず知らずに実りの秋にきていたのか、かもしれんし。