美容室の予約をすっぽかしてしまった。というより、寝過ごした。理由は情けない話で、ゆうべ飲みすぎたのだと思う。

思う、というのは最近酒にどうも弱いらしく、そんなに飲んだつもりがなくても記憶があやふやであったり、時には数篇の出来事を除いてはほとんど覚えていなかったりするからだ。今年に入って他学科の先生と月に一度くらい飲みに行くのだけれど、一度泥酔した際に帰りにラーメンを食べたらしく、翌日財布から出てきたレシートをみて、おかしなことになった。そのことを一緒に飲んでいた先生方に話したら面白がっていたけれど、「でも、あの時間に食べたら帰りの電車なくないですか?」と言われて一層謎が深まった。「わからないんですよねぇ、どうやって帰ったのか」というと、さすがに先生方も心配していた。それから後になって、うっすらと東八道路付近を歩いていた記憶が戻ってきて、もしかしたらバスでその辺までは辿り着いて、でもまだ家までは遠く、タクシーでも探して彷徨ったのかもしれない。

 

先々週に同じメンツで飲んだ時も、なぜか飲んでいる際のやり取りをほとんど思い出せず、思い出したのはドイツ語の先生が僕の書く文章、というよりX の固定ポストを「いいエッセイだ」褒めてくれたのと、50歳手前の教授に「こんな待遇も変わらない昇進もない大学、みんな辞めちゃいますよ」と詰めた記憶ぐらいだ。固定ポストに至っては、僕は実名をほとんど出していないので、どうやって僕のアカウントにたどり着いたのだとしつこく聞いていたと思う。これを、同年輩の同僚にあとで話したら、「記憶ないって嘘でしょう。ほとんどシラフみたいにしてましたよ」とのことだった。と、いわれても覚えていないものだから、僕としては記憶のないところでどれだけのくだをまいているのかわからず不安になった。Fにそういうと、どうやらFもまた、僕ではなく彼女自身に思い当たる節があるらしく「そういうのなんだっけ、一度お酒で記憶をなくす、ブラックアウトというのをやると、少量のお酒でもそうなってしまうようになるらしい」と教えてくれた。以前、医学部の教員に聞いたのだという。

 

それで昨日はというと、友人とキャッチボールをして、その後一人ドライブをしたあと、帰宅して映画をみた。Aに勧められた「カラオケ行こ!」という青春コメディのような作品で、みおわってまだ時間が早かったこともあって手持ち無沙汰になり、久しぶりに矢野口の居酒屋に行って、隣のスナックにも行った。しばらく行っていなかったものだから、スナックのババアたちから「どうしてたんだ」としつこく聞かれ、閉店間際に行ったこともあって「もっと早く来い」ともいわれた。店を出て、まだなにか胸のもだもだがおさまらぬと思って、カメに電話をすると、今日は台風で客も少ないからアガリだという。「カラオケ行く?」と聞いてくれたので、隣駅まで歩いて出向き、2時間。家に帰ったのは4時ごろだったように思う。

 

その頃には翌日朝から美容室を予約していることなどすっかり忘れて眠りこけ、昼ごろ目が覚めると、また変な飲み方をしたと後悔しながら、スマホには二件、美容室から不在着信が残っていた。ああ、しまった、という感じ。人に迷惑かけてしまったな、この時間にほかの予約が入れられたかもしれない、などと自分を嫌悪しながら、詫びの電話を入れようかと思ったものの、一人経営のプライベートサロンで次の客の対応をしていることを想像したら、閉店間際まで待つか、と思いタイミングを逸し続けている。

 

なによりも気持ちが悪かったのは、こういう致命的な失敗をして、誰かに言いたい気持ちが、自分には(言い方は悪いが)捌け口となってくれる相手がいないことだ。不意にAが思い浮かんだけれど、そういうプライベートな、それもこういうあまりに無駄なメッセージの交換をするべき相手でもない。一方のAはといえば、どんなに些細な、なにごとでも四六時中、母親に話しかけているらしい。家族というものが日常になっている人々からすれば鬱陶しいに違いないのだろうが、自分のような家族のいない人間からすると、そういう瑣末で無駄なものを共有できる相手がいないというのはなんとも孤独を感じさせられる。無論、孤独は悪いことではないのだけれど。

 

脱線するが、一昨年末ぐらいだったか、博士課程の指導教官が「孤立はよくないが、孤独は悪いことではない」といっていた。ある中国人留学生が食事の席で「クリスマスも正月も僕は一人だ。どうやって過ごそうか」と愚痴を繰り返していたことに対してだった。僕は指導教官の言葉になにか感じ入るところがあって、僕と教官の指すものが同じかはわからなかったものの、「孤独はなにかを育みます」といった。教官はなぜかすごく喜んだ顔をして乙女座らしい細い目をさらに細めて笑いながら「孤独はなにかを育む、いいねそれは。なにか、てのがいい」といった。僕は、その「なにか」というものをはっきりさせないことに意味があるし、育んでいる最中の「なにか」を問い続けることが大事なのだと思っているので、教官がこういうところを拾って喜んでいたのが印象的だった。ちょうど、ニーチェの格言にも似たような言い方があったような気がする。このブログも「なにか」を目指しているのかもしれないけれど、それはあまり明確に考えない方がいいのだと思う。ついでに、この教官とのやりとりを僕は感動の気持ちで去年出て行ったモトカノに話したのだけれど、彼女はつまらなそうに「難しそうでわからない」と言っていた。そういう時の彼女は僕からみるととにかく不細工だった。見た目や造形の話ではなく、心の底から不細工だと思えたのものだ。

 

Aとすっぽかしの話に戻ると、僕は時々Aの話に家族というものを感じて懐かしさを覚える時がある。それは、彼女がいつもママやパパに心配されて大事にされているのを感じるからであり、またすぐ近くに住んでいるおばあちゃんの話も、僕が昔親戚従姉妹たちの家に遊びに行った感情を引き摺り出してくるようだからだ。それに彼女は三島生まれのおばあちゃんの影響か、東京生まれのくせに方言のようなものを挟んでくるし、ワインレッドの車を「えんじ色」といったりするところもなにか郷愁をくすぐるものがある。僕が彼女と話していて過去の記憶を呼び覚ます時があるのは、どうにも彼女のなかに自分の生きづらさの答えを鏡のように見出す時があるからばかりでもないのかもしれない。

彼女が住んでいる場所は、実は僕が前からあの辺に引っ越そうかと画策していたあたりだった。それが、彼女がその辺に住んでいると聞いて、なんとなく近くに引っ越すのは気が引けた。それがこの間、研究室から彼女ともう一人を駅まで送ろうと車に乗っているとき、その辺に引っ越したいのだと話したら、彼女は「いいじゃないですか、ご近所になりましょうよ」と笑いながらいっていた。錯覚かもしれないが、後部座席から聞こえる声が心なしか弾んでいるような気がして、なにか安心に似たような気持ちを覚えた。思えば、あれは彼女が発した「ご近所」という言葉に僕の心が反応したのかもしれない。

 

先週、Aが研究室に来た時、不意に「昨日バイトすっぽかしちゃいました」といった。それを聞いた瞬間、僕は大声で笑い出してしまったのだけれど、Aもなにか、いっちゃおう、いっちゃった、というような悪戯っぽい含み笑いをしていた。27日はカフェのアルバイトがあるのだと前の週に僕も聞いていた。

「なに、どうしたの」

と聞くと、彼女は確かに27日はアルバイトだという認識だったらしい、27日はバイト、29日は休み、というふうに覚えていたところ、いつの間にかその認識が逆転してしまったという。バイト先の店長からの電話で発覚し、ほかの人がカバーしてくれたという。

「7と9って似てるもんな」

と僕が理解を示すと、彼女は

「いや、っていうか奇数があ」

といっていた。僕は別に気休めで言ったのではなくて、本当に似たような間違いを僕もしそうなので言ったのだけれど、彼女はやはり、奇数が苦手らしかった。多分、6と7を足したら13ということも、7と8を足したら15ということも、彼女は納得いかないだろう、そんな気がする。それから彼女はしきりに「くっそお」と繰り返していた。

 

その日は20時ごろに正門前で彼女と別れ、僕が車で帰ろうとすると、ふと彼女が最近二郎系ラーメンを食べて後悔した話を思い出した。ついそういう身体に悪いものを食べたくなって駅前に行き、そういうお店の前まで行ったものの混んでいて並ぶのも億劫で、前を通り過ぎてどうしたものかと考えていた。なんとはなしに近辺を歩いていたら、十字路を目の前に原色の青いカーディガンが横切って、びっくりした僕はAの名前を呼んだら、彼女は振り返って大笑いしていた。てっきり実家でご飯が用意されているものだと思ったらそうではないらしく、黙って別れるのもなにか不自然な気がしたので、思い切って「なんか食べてくか」と誘ってみたところ、Aは口をもごもごさせながら近所の店をいくつか挙げてみせた。そのもごもごの意味するところはなんだ、と思ったものの色々と思い当たる節はあった。

食事して談笑しながらみて気がついたのは、Aがポロポロと食べかすをテーブルに落としては一人「またやった、いつも弟に食べ方汚いって怒られる」といっているところで、単に食事の席でボロが出るのを(獅子座的に?)厭っていただけのような気もする。