ジレンマやアンビバレント、といえば数年前に付き合った女性はそういうものにとかく苦しんでいる様子だった。

その女性は境界性パーソナリティ障害という診断を受けていた。最初に彼女からその説明を受けた時は、ふぅんそんなものかと、適当にネットで調べて、2本くらい論文を読んでみて頭では理解したつもりだったが、いざそれに真っ当に付き合う当事者となると冷静に受け取ることは困難だった。

 

星座を形容詞的に使うというのは僕の悪い癖だけれど、それがかなり習慣づいたのはこの時に苦肉の策的に身についた手段だった。それは、やさしい、とか、暑い、とか怒りっぽいとか、日本語にある形容詞でしっくり当てはまるものがない時に「あ、今の発言山羊座的」というように12個新しい概念の形容詞を瞬間的に思い出すというものだ。外国語を長く勉強していたから、日本語に対訳のない単語が概念として自分に身に付く感覚として案外自然に習得していった。例えば「乙女座」だったら、本を読む時に前から一字ずつ文字を追いかけて、その積み重ねで文章にして、それから意味を考える、近視眼的にモノをみるから理解が遅い、全体観を咄嗟に掴めない、その代わり観察が物凄く細かい、でも丁寧すぎて社会のスピードにはついていけない、という風に。そういう特徴の人をみると咄嗟に「乙女座的だわ」といってその一語に集約する。その人が実際に何座生まれかは関係がない。こっちがその特徴を勝手にそう呼んでいるだけなので。

 

彼女の場合はその「乙女座的」と「獅子座的」が極端のようにみえた。獅子座的というのは、要するに舞台の主演女優で自分だけにスポットがあたっている状態(ライオンキングで崖の上で孤高に叫ぶ姿もいいかもしれない)で、現実的な「乙女」に対して夢想的な「獅子」という感じだ。自分だけが女性として光り輝ける瞬間、つまり「獅子座的」に輝ける瞬間というのは、つまり恋愛が一番の舞台だったりする。だから彼女は楽しいデート、したことのない体験をしている時にはこの上なく獅子座的に輝き、愛してるわ、大好きよと連呼する。でも寝て起きてクールダウンすると現実的な「乙女座的」特徴(もう一ついうと「山羊座的」特徴も)が反動で一挙に彼女を不安に貶める。そしてこんなに不安ならと、恋愛をおわりに向かわせる。「もう別れる」といったり、「死にたい」といったり。

 

この「別れる」とか「死にたい」はその瞬間の彼女にとっては本心だ。彼女はリストカットの経験も若い頃にはあったようで、でもリストカットで本気で死ぬ人は実際には少ないだろうし、あの行動は要するにまた「獅子座的」行動で、恐怖や不安、悲しみで一杯の状態を「獅子座的」状況に持ってくるための装置であったりする。軽い言い方になって申し訳ないけれど、非現実的なことをしていると、自分を不安にしている現実的な「乙女座」「山羊座」っぽさが軽減されるのだ。要するに、自傷行為は安心を取り戻すためにある。もう一ついえば、別れるといえば相手は焦るし、死ぬといえば助けにくるであろうし、「もう大丈夫だよ」と抱きしめられれば付き合った当初の盛り上がり、ピークを取り戻すことができる。本当は恋人同士がそのピークを取り戻す最も健全な方法はプロポーズであったり結婚であったり、記念日を祝ったりでなければいけないのだけれど、そういうもので満足できるカップルは少ないから、そうやって相手を試すようにして失敗して別れるケースは多いのだろう。だから彼女の行動は何も彼女特有のものではなくて、あくまでも普遍的な相手に対する甘えが出ただけなのだけれど、それが周囲に多大な迷惑をかける規模になった結果、病気という扱いになる。しかし凄いのは、彼女は彼女の自覚によって自身の異常に気がついて自ら病院に行って診断を受けた。それまでは親も家族もそのことには気がつかなったらしい。それもまたこの手の病気の人の特徴で、それを聞いたときは「乙女座」っぽい、あと「天秤座」っぽい、などと思った。端的にいうと自我が深い。その点、少し前に退学の相談に来た学生はそっくりだった。

 

しかしまあ、そういう仕組みを自分なりに星座形容詞で説明できるようになってくると、僕の方も段々と彼女に対する興味は薄れていった。前にも書いたけれど、問題ありな女性に惹かれる傾向はあっても問題が明らかになるとただの人なのだ。最初こそ、彼女の「別れる」に応えて迎えに行ったりしていたが、段々と彼女の深い自我でこちらの親切ぶりを上手に利用してきていることもわかった(要するにいい気になって、何度も「別れる」「死ぬ」をやってくる)。最初は「別れる」をやってしばらくするとSNSに「ここにいますよ」の匂わせをしてきて迎えを待っていたりしたが、そのうちに物足りなくなって他の男を敢えて匂わせてきたりとかしてきたので、いや、もう全容解明されてミステリアスじゃなくなったお前なんか魅力ねーわ、と腹が立ってきて、前述の「素敵な別れ言葉」を半日かけて文学的に仕上げて別れた。あの言葉はさぞ彼女の「獅子座」っぽさをくすぐったであろうし、そのあと「乙女座的」に「やりすぎた…」と後悔したのではないかと想像している。

 

もう一つ、彼女の「獅子座的」な傾向で遊んだことがあった。彼女が例によって死ぬほど楽しいデートをした翌日に本当に「死にたい」と言ってきた時のことだ。これどうしようかと、経緯を話して友達と返信を考えた。しばらく返信をしないで、相手の都合のいいように解釈できる素敵で曖昧な言葉を返してみたらどうなるか、散々検討して「ごめんね」という4文字に集約した。彼女も喜ぶし、ヒーローになれるし、こちらを心配もできるし、最高ではないかと、つまり彼女が自身の演じたい女優の役柄を自分で選んでくれるのではないかと。夜中にそれを送るとすぐさま返信がきたが、その日はもういいやと返信しないで寝た(彼女はさぞ不安と期待が入り混じっただろう)。翌日も何が「ごめんね」かの説明はせず、もやぁっと彼女を立ててみると、そのうちに「私が守ってあげる」的なことを言い出して大喜びしていた(メッセージなので姿はみえないが、脳裏には浮かんだ)。いまでも「ごめんね作戦」と呼んで笑っているが、彼女は喜んでいたので真実は伝えていない。これからも伝えず墓場まで持っていく(というより伝える機会もないけれど)つもりで、彼女にはいい思い出にしておいてもらいたい。彼女もおそらく、懐古厨だろう。