いつだったか書いたように、前にもブログのようなものを開設したことは何度かある。でもそれは何か研究ノートのようなものであったり、よく知った友人がみるものであったり、何かしらの目的や制約があった。

どうもここを開設してから、なんでもぶちまけちまえ的な気持ちで何も考えずに手を止めることなくタイピングしている(だからか誤字も多い)。最初は野球のことでも書こうかと思ったけれど、実際書いてみると野球の話よりも書こうと思うことが多くて、ざっとタイトルだけみていると最近の(あるいはその時の)自分が何に関心を持っているのか、何を中心に考えているのか、もっといえばどこに向かっているのかを垣間みるような気持ちになる。

 

割と多いのは昔の通訳の仕事であったり、学生の話であったりとか、その辺にまぎらわせて昔の女の話であったりとか、結局野球って優先度低いんだな、俺のなかじゃ、という感じ。わからないけど、この先書くかもしれないけど。でも、これまで野球を楽しみながら頭のなかで色々考えてきたことって結構ある程度パターン化されていて深みのようなものは少ない気がする(あるいは発展性がなさすぎて飽きている)。

 

じゃあまあ、今日は何を書こうかなと思ってPCを開いてパタパタしていたら上のようなことを書いていたわけだけれど、じゃあ前置きはこれぐらいにして何を書こうかと思案すると、ぱっと思いついたのは例のADHD女性のことだ。前回も書いたように、彼女は僕の(自己同族嫌悪もあって)ちょっと嫌いな牡牛座で、むしろ牡牛座的な良さ、可愛さもめちゃめちゃに出ているのだけれど、それがまた却って、いずれ牡牛座的な悪さも表出するぞ……!と警戒心を抱かせる。要するに、素直で可愛い、が、正直すぎて我儘、に変わる時がくると、端的に言ってしまえばそれに近い。

 

僕はよく星座を形容詞として便利に使うので、悪い癖だなぁと思う。できるだけそれに頼らないで彼女のことを書いてみようと思う。仮に彼女をAとしよう。

 

Aは出会った最初の頃からやたらと目力の強い印象で、真っ直ぐ正面を見据える瞳がいつも数メートル先の何かを捉えているようだった。ADHDの申し出を大学にしていたからこちらは把握していたものの、一部の友人にもそれは告げているらしく、その友人が彼女の行動を助けているとのことだった。かつて精神疾患の女性(発達障害のADHDとは違うのだけれど)に振り回された経験のある自分としては、そんな同級生の助け程度で生活が上手くまわるものかな?と疑問だった。

 

初年次以降は授業を受け持つ機会もなかったので彼女の存在は忘れていたところ、一年経って僕の受け持つ専門科目を履修してきた。近現代史の授業で、「日中関係はなぜ悪いか?」という質問を学生に投げかけたところ、ある中国人留学生が「日本が軍国主義を改めないからだ」と言って、その一瞬だけ場がぉぉっとなった。僕にすればそれはいわゆる中国の公式見解と教育内容なので、この質問にそう答えること自体は普通のことだと思ったが、Aはそれを聞いて「中国こそ軍国主義ではないか」と返した。

 

中国が日本を「軍国主義」というのと、日本側が中国の昨今の海洋進出を指して「軍国主義」というのとではニュアンスが大分異なるのだけれど、これはいいテーマが出てきたと思って「じゃあ日本と中国、どちらが軍国主義だと思う」とお互いの主張を出させてみた。ほかの日本人学生は何が起こっているかわからない、という感じで、一部の人は戸惑いながら、大多数は興味なさげにしていた。

 

こいつ、面白いなぁ、授業になるなぁ、と思ったのはその頃からで、でも彼女は勉強はよくするものの真面目とも言い難く、僕の授業中も次の時間の試験勉強をしながら聞いていることも多い(まあ真面目なんだけど、聞いてもいるし)、酒はかなり早くから飲み始めたらしく、食べたいもの、やりたいこと、飲みたいものの我慢もきかないらしい。そういうものひっくるめて、なんだか学生の頃の自分に似ていると思って懐かしさも感じた。でも、どっちがヤバめの学生だったかでいうと自分の方が少し上かもしれない。射手座的に(星座つかった)。

 

それからオープンキャンパスの機会に来場者向けの模擬授業に彼女を登壇させてみたりしたところ、まあまあどんなものかわかってきた。優秀は優秀、だけどやはり牡牛座的で期待を上回ってびっくりするほどの努力や活躍をするわけでもない。しかしとにかく卒なくこなすし、女性的な協調性もある。礼儀もある。ただ、課題の締切や何やらを忘れてしまうし、帰り道もわからなくなるから、彼女のスマホのカメラロールはいつも記録用でいっぱいになっていた。それなりに発達障害で困った経験は多いようだった。

 

前にブログに登場したうちのゼミ生の男の子が、Aを交え数人で金曜の授業おわりに学内で卓球に興じ、居酒屋行ってダーツ行って楽しかったといっていた。いいなぁ、おれも彼女と飲んでみたいなぁ、なんて考えていたら、6月○日に学科20人ばかしで飲みに行くから先生も、という話だった。今日の授業おわりにAがやってきて「先生も来ますよね」などといってくれたので、どのぐらいはめを外すか話し合った。彼女はもう、親に言って朝まで飲む想定だという(彼女の特性上、スマホにGPSがつけられている)。「いいなぁ、俺はだめだ」といったら「いいじゃないですか、前回そちらのゼミ生とは朝まで飲んだんじゃないですか」と可愛いことを言ってくれて、年甲斐もなく嬉しくなった。「いや、犬がいるんで」と言って断ったけど。

 

彼女はいつも授業おわり最後まで残ってお喋りしてくれるので楽しい。が、おい牡牛座、そういうとこだぞ、とも思う。あの人懐っこさがまた、思慮深さに欠けていて、厄介なのだ。友達だとしても揉めるし、恋人なら最悪、学生だと思ってみていると、まあ騙されててやるか、と思える感じ。そういう意味では学習面での成長など微塵も期待していないのだ。もっと言えば人間的成長にも。ただ、多分前に書いたように、やばいやつにほどアンテナが反応する僕の特性が、別の意味での期待を彼女にかけている。つまり、どれくらい攻略しがいのある問題を出してくるか、ゲームのようなものだ。でも、これもまた厄介で、遥か昔に付き合っていた牡牛座の女性は「何を考えているかわからない」から一緒になったものの、結論「何も考えていなかった」に落ち着いたことがあって幻滅した。つまるところ、無知や馬鹿は僕にとっては脅威で、Aについてもその可能性を排除していないということだ。