自分はいわゆるADHDなんじゃないだろうか、と疑ったことのある人は多いと思うのだけれど、僕の場合も例外ではない。ネット上に転がっている診断チェックみたいなものをすると大体「可能性あり」的なことが出るのだけれど、これ、かなり甘めに結果出してませんかと疑いたくなるし、本当に気になるのなら病院行ってみろ、という話。でもそれをしないのは、仮にそうだとして「だったらなんだ」という話でもあるし、そもそも困っていない、というより巷に聞くADHDの特徴から察するに、今の自分にとってはそれはそれで上手く社会に適合してしまっているから問題なし、むしろ感謝すべき、と思えるからだ。

 

こんなことをまた最近考え出したのは、仕事柄色々な問題を抱えた若者に出会うからで、結局は今いる場所にハマるかどうかがすべてだからな、などと思うからだ。自分の教えているなかで上手く大学生活を送れない学生も、たまに教えてに行く美大だったら上手く行ったんじゃないかとか、そんなことを思う。発達障害は社会的に表面化しなければそもそも問題にもならないという点はあるのだろうなと思う。もちろん、社会的に表面化することが多いからこそ認知されているのだろうけれど。にしても、ADHDというものが一般に知られるようになったのはおそらくここ十年か二十年の話じゃないだろうか。

 

最近、うちの学生でちょっと(女性として)素敵じゃん、と思うのがいて、その人は早くから大学にADHDの申し出をしていた。最近になって色々と話す機会があって、自分からベラベラとその類の話をしてきたのだけれど、彼女の場合はごく端的にいうと初めての道に出ると空間認識できずに帰れない(迷子になる)、偏食で気になったものを一定期間食べ続ける、凝り性(PPTの画像位置などを細かく弄って提出に間に合わなくなる)、といった話だった。昔、もっとパーソナル障害の女性と付き合った自分からすると、まあ可愛いもんだなと思って聞いていた(聞く限りでは、だけど)。しかし彼女の場合は学生生活もそつなくこなしているし、たしかに正直すぎるなと思う傾向はありながらも女性らしい協調性もみられる(かなり我慢しているのかもしれないけれど)ので、今のところ問題はない。今後就活などでどうなるかというのは気になるけれど。それよりも10年ぐらい前に一緒に中国に行った中学生の野球少年の場合はまさに「多動」といった感じで大変だった。ADHDでも色々あるもんだな、などと思った。

 

しかしまあ彼女にその話を聞いてから、よくある自分自身のADHD疑惑が再発して、彼女の症状を自分に当てはめて考えることは多くなった。さっきもコンビニにお酒とおつまみを買いに行った時、カップラーメンのコーナーで自分がもう20年ぐらい同じ商品数種類からしか選んでいなかったり、一度気に入ったら同じものをひたすら食べる習慣があることに気がついた。彼女のPPTの拘りではないけれど、あまりに物事を近視眼的に捉える癖ゆえに高校時代ボールが上手く投げられなくなって(いまでいうイップス)その反省から大学での中国語学習は「頑張らない」に全振りしてみたり、いつも極端な方法をとってもいた。そしてそれを当時の彼女に勧めたけれど、一向に理解されなくて不満を募らせたり。それでも、今となってはそれが功を奏してちゃんと仕事しているわけだから、若い頃のそういう傾向は進み方次第というところもあるのだろう。

 

ただ子供の頃は本当にダメなやつで、「忘れ物、遅刻の○ちゃん」と友達に呼ばれていた。自分でもクラスに30人、学年に120人もいながらどうして自分が一番ダメなやつなんだろうと思いながらも、遅刻癖、忘れ物癖を治そうともしていなかった。それで馬鹿にされてもヘラヘラしているだけだった。大事なプリントをもらっても、親への連絡事項があっても、その瞬間は大事だと思っても家に帰ったら忘れてしまう、ランドセルに入っているのに、次の日学校に行くまで一向に思い出すことはなかった。あの頃はADHDなんて言葉自体知られていなかったけれど、診断をつけるとしたらそう言われていたのかもしれない。大人は概して自分のことなど嫌いだし、叱るものだと思い込んでいた。

 

例の彼女の話を聞いていると、自分に共通点が多い気がするのだ。例えば、まっすぐ家に帰れない、通ったことのない道を見つけると挑戦したくなる。その時したいことを我慢できない、などなど。それはいっちゃあおしまい、的なことも(彼女は我慢がきいているようだけど)自分の場合は散々言って人を傷つけてしまったこともある。嫌なことは自分が我慢すればいいんだからといっていた時期があったと思えば、逆にいえば他人が傷つくのを自分が気にしなければいいだけじゃん?という発想で生きていた時期もある。そういう態度が「怖い」といわれたこともあった。もっといえば、人間をモノのようにみていたことも多い。

 

ちなみに彼女を(女性として)素敵じゃん、と思うのはこれまた自分の傾向だなとも思う。要するに、そういう問題のある人に惹かれるのだ。それは彼女がADHDを公言していたからではなく、いいな、と思う相手は大体なにかしらある。一癖も二癖もあって、苦労させられる才能を感じると、自分はどうやらその人がいいと思うらしい。逆にいえば、この人いけすかないなと思った場合は、その人があまりに常人でつまらないと映っている可能性がある。そのせいだろうか、訳ありの人がやたらと訪ねてくるのは…(前回の退学希望の学生然り)。