昨夜は草野球チームの方々とお酒を飲んでカラオケした上に、帰り道で一人酒まで煽ってしまったので、今朝の体調は最悪だった。

それでも標題にあるように前職のOGであった90歳のおばあさん(以下、S氏)と朝から都内墓参りツアーをする約束をしていたので、厳しい肝臓と胃に鞭打って、ワンコにご飯あげて、シャワー浴びて、ヘアオイルつけて出かけた。ちなみに自宅でヘアオイルというのをつけたことが実はなかったので、はじめての試みだったのだけど、なかなかいいものだなと思った。

 

墓参りツアーというのは3年ほど前からはじめて、最初は伊豆の井上靖、次は鎌倉の辻井喬と富士の杉村春子の墓参りをした。要するに前職で関わりがあった文化人たちを訪ねるという主旨。高齢のS氏が「死ぬ前に一度ずつ会ってきたい」というので車を出してドライブするようになったものだ。

今回は都内限定ということで、フランス文学者の中島健蔵(豪徳寺)、考古学者の宮川寅雄(本立寺)、作曲家の團伊玖磨(護国寺)、演劇家の千田是也(染井霊園)、歌人・国語学者の土岐善麿(等光寺)と5人もまとめて、半日ほどかけて回った。どれも中国との縁少なからぬ人々だけれども、若いこちらからすると墓参だけではなくて車中で聞くS氏のこれらの人々に関するエピソードの方が貴重だったりする。

前回までの人々も含めて自分が会ったことがあるのは辻井喬だけなのだけれど、あとはもう人文学者としての興味と、あとはS氏との人間的な付き合いによるところが大きい。中島健蔵については論文にしたこともあるし、次は井上靖を題材に書こうとも思っているので、話を聞く分にはどれも面白いからだ。ちなみにS氏は博覧強記という形容がぴったりなほど記憶力も滑舌もよく、最近は日中関係や文化人の話を聞きに来る人も多い。いつからかオーラルヒストリーが研究手法として流行り出してからの格好の対象ということになる。

 

二日酔いもあってS氏の話を存分に堪能し切れなかった部分がちょっと残念だった、もっと突っ込んだり、脳裏に印象を残しながら聞けたらよかったのに。次回はまだ亀井勝一郎を訪ねようと話している。

 

ところで辻井先生とは10年ちょっと前に自分も一緒に中国に行ったことがある。その頃の印象はやはりこちらが若いこともあって怖く感じたし、経済や文学の話を通訳するにはまだまだ実力不足だったこともあって恐縮していた。その時訪れたのは中国共産党にとって革命の聖地といわれた延安で、その場所を訪れようといった辻井先生の真意をいまでも考えることがある。というより、せめていまぐらいの知見を備えた上でもう一度あの旅について行きたかったと思う。一人でももう一回延安に行ってこようかなどとも思う。なんとも(仕事とはいえ)贅沢な旅だった。

 

その度の頃はまだ東日本大震災の余韻が残っていた時期で、中国側は作家も「被災者や救援にあたられた方々に敬意を表します」と口々にいっていた。日本側の作家は「我々はもはや心の内で風化させようとしているものを、遠い中国の人々はまだこうして言ってくれる」と感動を伝えていた。その言葉を通訳していた時は自分もただ感動したものだけれど、今となってはあの頃の日本側の心のうちをもっと細かく想像したいと思うようになった。

 

色々な話を交錯させてしまうのだけれど、この度で社会科学院で通訳をした時、日銀の副総裁を務めたジャーナリストが一人メンバーに加わっていたこともあり話題が国際経済の話になった。若干24歳でものも知らず、無謀さだけが取り柄だった自分は玉砕し、その後の日程の通訳も散々だった。その時の写真がいまも残っていて、必死に顔を埋めてメモをとっているのだけれど、その様子がまた不恰好だった。大臣との会見もあって通訳の写真は記念にとってあるけれども、自慢というよりは苦々しい記憶が蘇るばかりの戒めとして研究室のデスクにしまってある。

 

そういうのもあって、今の自分でもう一度あの旅に戻りたいという思いがよく浮かぶ。まあ、通訳の失敗談は挙げればキリがないのだけれど。