仕事をおえて帰宅して、すぐに犬の散歩に出た。3頭を2回に分けて出て、定番のルートをイヤホンでネットラジオ聴きながら歩く。もう大分暑くなってきたのでシャツは汗ばんで、公園には草が茂り、苦手な虫が生ぬるいアスファルトに出てきていたのを避けながら歩いた。

途中、ゼミの男子学生からラインが来て、6月○日を空けておいてほしいという。隣のゼミが飲み会をするのに合流するから来てほしいとのことだった。この学生は留年して一学年遅れているくせにやたらと周りと仲良くなりたがるヒモ気質のところがあって、その可愛がられたがりな性分で年下の真面目な女の子を最近彼女にした人たらしのだらしないやつだ。自分ばかりがゼミのみんなと仲良くなりたいくせに、周りがその気になってくれないとわかると何とか教員まで全体をその気にさせて自分の青春を取り戻そうとする、面倒くさいところがある。

 

ともあれ、今日の仕事はおわりだし、犬の散歩の間くらいは付き合ってやるかとラインのやり取りをしていたわけだけれど、だらだらと返信が続くものだから結局2時間弱の散歩がおわって、ついに一日の最後に近所の居酒屋に行く時間までやり取りは続いた。一杯目のビールの写真を送って、暗にプライベートに干渉するなと伝えると、そういう勘ばかりはいいのか、返信が来なくなった。この時、時間は深夜一時。

 

やっと一人になれたなと、一日のあれが拙かったこれがよくなかったと定例の反省をしながら酒をあおった。一生懸命生きてきたつもりでも、反省はいつもあるし自己嫌悪もする。悩めば人生の残り時間が疲弊するだけだとわかってはいても、無駄に悩んでしまう。悩まない人間もいるらしいが、自分はそうではない。だから、悩める学生の気持ちはわかってしまう時があるし、そういう学生に甘えられる時もあるし、頼ってもらえない時に却って卑屈になったりもする。もっとも、最後のは歳を重ねるに連れて減ってきたけれど。

 

暑かったせいか、一杯目のビールはあっという間になくなって、二杯目は日本酒の〆張鶴を頼んだ。いつだったか、中国に一緒に行った直木賞作家が寿司屋で勧めてくれてから、少し印象が残ってよく頼むようになった。地元の酒で一番好きな花の舞に比べると辛口なのが気になるけれど、味よりもどういう経緯で飲むようになったのか、そういう記憶の方が大事だということは酒ではよくある気がする。

 

直木賞作家、といったけれど、自分の場合は若い頃から文学とか映画とか演劇とか、文化関係の珍しい人の通訳をすることがよくあって、財界や政治家の通訳もした。似たような仕事に就いていた人のなかにはそうした経歴で箔をつけようとして宣伝して講演の依頼をもらったり、地元紙の取材を受けたりする人もいて、同僚にはそういう機会を利用して有名人とちょっとだけお近づきになろうというものもいた。そうして、事務的に知り合ったり通訳をしただけなのに、まるで自分も同等に偉くなったような錯覚をして吹聴する人が多かった。

 

自分はというと二十年来、そういう人たちはダサいと思ってきたし、自分の通訳の師匠についてもそうだった。師匠はかつて中国の国家主席と日本の要人が通訳をした際に通訳を務めた写真を飾っているような人だった。

 

自分は大学の教員になってからも、実際は通訳者としての実績を根拠に転職したにもかかわらず、上記のようなひねくれた拘りを持っていたがために、自分の仕事について語ることはほとんどしなかった。学生に自分語りをしたこともないし、通訳者としてどんな大変な思いをしたという苦労自慢もしなかったつもりだ。そのうちに博士課程は近現代史の方向に向かい、本来の専門を捨てて、通訳は実務家として、研究者としては近現代史と文学、というふうに分別をつけた。

 

いまとなってはなぜだかわからないが、通訳、という専門でいい気になる自信はわからなかったのだ。もちろん、いまでも何につけてもいい気にはなれないから、根本的に自身がないか、威張ることに向いていないだけかもしれないけれど。

 

少し意識がかわったのは博士論文提出の目処がたった頃で、自分が別の分野の専門家として胸を張れると思った頃からか、通訳者としての自分語りをしてもいいかという気持ちになった。それで今年の四月には職場の教員紹介の自分のページを書き換えて、少し通訳の仕事について触れるようになったし、オープンキャンパスの体験授業でもそういうことにやや触れた。結局自分は、通訳者としては最後まで自信を持ち切ることができなかったのだと思う。それが別の専門家になったと自認して、やっと踏ん切りがついたというところか。

 

とはいえ今でも、先に挙げたような一通訳者にすぎないくせに「(誰々)の通訳をした」などと吹聴する輩は気に入らないし、有名人とちょっと仕事をしたぐらいで勘違いする人は嫌いだ。要するに、浅はかなミーハーちび野郎という気持ちになる。つまりは、自分がそれをしてこなかったのは、自分のことを浅はかミーハーくそちび野郎と思いたくなかったからに違いなかったのであろうし、それはつまり同族嫌悪であったともいえる。もうミーハーではない、と思えるのは、自分はそういう功名心を捨てたと言えれば格好いいのだろうが、要するに自分が学者であると認められるぐらいの自信はついたと、そういうことなのだろう。その程度で満足するなともいえるけれど、そこの満足の一線とミーハー意識を払拭できるかの一線は別物であろうし、何よりも先に挙げたような自分が軽蔑していた人々との差別化は図れたという、その程度の話のような気もする。そう思うと、なんと自分の小さなことか。