先週、退学したいと相談に来た学生がいて、2時間ばかり話を聞いた。今年4月に入学した時から「あいつなんかあるな」と思わせる雰囲気があったので、全然意外ではなかった。隣の研究室の同僚も「あのこちょっとあれな雰囲気ね」と言っていたので、その直感はおおよそ間違っていなかったのだと思う。

 

要するに、学校というものに拒絶反応が出てしまい、高校も通信制に通っていたという。大学生活は楽しいものの、朝通学の途中で気が滅入ってしまって死にたい気持ちになるといっていた(本人はパニック障害ともいっていた)。

こちらとしては、本人がそのように明確な理由を言ってきて、意思が固いというのなら担当教員として書類に所見を書いてあげるだけなので、わかりましたといった。本当はとめてほしくて言ってきた可能性もあったけれど、現段階では判断がつかなかったし、仮にそうだとしても教員と学生という関係上その手の「本心」を汲む義理は蛇足だ。ただし、次の学費が発生するのは秋なのだから急ぐ必要はない、辞めるつもりで秋までは授業をサボればいい、とだけ伝えた。それから色々と雑談も交えて話を聞いていると段々と顔が明るくなってきたので、こいつ辞めないかもな、という気がしてきた。

話の流れのなかで、「自分が思っているストーリーとは別のストーリーが同時進行していると思った方がいい」と教えてあげた。これはいつも自分に言い聞かせていることで、自分では何か目的があって何かをしているつもりでも、それは後付けの理由に過ぎなくて、本当は別に向かっている場所がある、だから結論を急いだりヤケクソになる前に、それが何か見えてくるまでは別のことをして待つということだ。多分ニーチェが似たようなことを言っている。

 

「さっきのあなたの話を聞くと、今現在大学を辞めたい気持ちは本物でしょう。でも本当に辞めるのは大変だ。こうして担当教員に面談してもらって、退学願を教務課にもらって、また僕が所見欄に記入をして、親のサインをもらって受理されて、はじめて退学だ。そこまでのプロセスでいくらでも引き返せる。それがわかって言っている部分も自分の知らないところであるのではないか」

 

すると彼女は最初の涙目からは打って変わって、

「そうそう!それなんです!」

だと。

 

普通は自覚はないものだけれど、彼女の場合は自覚までありながら衝動が抑えられず行動に移していたという具合だったようだ。昔こういう病気の女性と付き合っていたなぁ、などと要らぬ記憶まで呼び起こしながら、しかし自覚の深さ、論理性の強さというか、そういう人特有の近視眼的な観察力とそれゆえの煩悶のようなものはよく似ていると思った。非常に言語能力が高いがゆえに苦しみ、同時にまだ未熟ゆえに自分の状態を表現できず、それが目の前の教員にいとも簡単に言語化されたことで腑に落ちて解消されたようだった。the乙女座って感じだな、などとまた要らぬことを思いながら、また昔の彼女を思い出した。懐かしいやつが来たなぁ、などと。

 

結局「じゃあしばらく休みます」と言って出て行ったわけだけれど、昨日の授業にひょっこり現れ、今日は普通に笑顔で席について友達とやりとりしていた。「ちょっと聞いてくださいよ!今朝先生が夢に出てきたんですよ!」などと授業中にのたまう。何でも赤ちゃんが食べるような流動食をこの僕に与えられる夢だとか。なるほど、子供扱いされたと思えるような大人に会えたことが、今までの彼女にはなかったのだなと合点がいった。消化器が不良に陥って何も食べられない状態だった彼女が消化のいいものを食べさせられた。リハビリが行われている、というイメージか。夢で「食べる」は成長を意味するから、いいのかもしれない。すぐにそんなイメージに結びついた。

 

ははあ、彼女が無自覚に歩いたストーリーは、自分の状態を言語化してくれる人間を探していたということかもしれない。退学をちらつかせながら、無意識にこの教員を頼ってきたのだな。そう思うと悪い気はしなかった。

 

実はこの手のリハビリ的なことは初めてではなくて、前述のメンヘラ彼女でかなり鍛えられた。こういう回路を持った人間と会話するのは人文学者でもなければそうそう相手にはならなくて、大抵の相談相手はこの人たちの頭の良さについていけず、また彼女らはコミュニケーションが上手くいかない理由が自分の「頭の悪さ」にあると誤解して、社会に適さなくなっていく。そうして彼女らは口癖のように「生きづらい」という。

もしかしたら、今回の彼女が「会話できた」と思えたのはこれが人生で初めてだったかもしれない。大袈裟ではなく、かつての「元カノ」はまさにそうであったし、馬鹿にされるばかりで相手にされなかった自信の疑問が目の前の人間に解きほぐされていくのを見た瞬間、電池が切れたように(それが彼女らの満足の表現だったりする)別の話題に転じたりする。こちらとしても、頭のいい彼女らと話すのは楽しいし、その電池切れを見ると嬉しい。

まあしかし、「元カノ」みたいにまた深入りするのは勘弁だけど。忙しいんで。