暑くて大学に行ってもなかなか仕事がはかどらず、夜な夜な近所のファミレスに来たものの、ビールを頼んで草野球のブログにコメント打って、いまこれを書いて、結局仕事などしていない。

 

昼間車を運転しながら自然に思い浮かぶのは静岡県の高校野球だった。

母校は2年前のセンバツ選考で物議を醸し初の甲子園出場を逃して以来、全国でちょっと知られる(甲子園に出場するよりも知られたかもしれない)高校になった。2020年コロナ禍で行われた地区別の代替大会では優勝したものの、これも甲子園はなく、どうにもツキがないというか、みていて歯痒いまま今になっている。

それが今年はノーシードから勝ち続け、ついには地元の強豪私立、名門公立を撃破して決勝戦に進んだものだから、今度こそ悲願の甲子園を!と新たに注目を浴びた。

 

卒業以来20年間、欠かさず母校の動向を追いかけてきた僕としては、いてもたってもいられず、静岡県の草薙球場まで車を走らせて応援に行ったものの、ついぞ大会中に調子を上げてきた掛川西高校を破ることができずに敗退した。ネットニュースでは珍しく負けた方である母校を見出しにあげて「悲願ならず」としているところが多かった。それだけでもなんだか救いになった気がした。

 

毎年、ネット中継で地方大会の一回戦から観戦しているものだから、決勝まで進むとかなりチーム事情にも(外からみる限りには)詳しくなって、選手の顔つきや個性もわかってくる。高校生というのはやはりすごいもので、たった十数日の大会期間で表情が明らかに変わったりするのもみるので、本当に若さというのはすごいと思う。それに対して、自分のゼミ生なんかをみると信じられないくらい覇気がなく、成長する気合がなく、本当に人間というよりは動物園で遠くを見つめて時間の流れを待っているだけという感じでイライラする。だから、高校野球を観ている間は彼ら/彼女らのことは一時も思い出したくない。

 

時々、どうして自分はもはや自身とは関係のない母校のことを追いかけ続けているのだろうかと考えることがある。

自分でいうのもあれだけれど、高校時代の僕は誰よりも野球が好きで、努力家で、卒業後にグラウンドを訪ねた時には当時の監督に「選手は今の方がいい、でもお前みたいに狂ったような努力家はいまだにいない」とまでいわれた。今にして思えばそれは誇るべき言葉というよりは、若い時の僕の異常性を表していただけなのだとも思うし、結局その極端さがその後の同時通訳者や学者として自分になったのだろうけれど、同時に僕が野球を辞めようと思った原因でもあった。要するに、野球が好きで頑張った結果、野球を好きな大人が嫌いになったというのが大学以降の僕だった。野球を語る大人や偉そうに講釈垂れたり、強いチームやいい選手をみると一枚噛みたがる大人(父兄に多い)が幼稚で馬鹿馬鹿しく思えたのだ。日本人は野球が好きで、誰もがテレビ中継の前では監督になった気で語ったりするけれど、それが本気であればあるほど痛々しいというか、そういう人をみていて野球を本気でやるのが馬鹿馬鹿しくなったという感じだった。

 

だから僕は母校を追いかけていても、地元の仲間とは疎遠だし(ヤンキーばっかりだった同級生と話が合わないというのもある)、球場に行っても誰かに会うのがめんどくさいので一人で観戦して誰にも挨拶せず帰るというばかりだ。それでも、現役の後輩たちはとにかく気になっていて、いつも母校が甲子園に行くのはいまかいまかと期待して応援している。だから件のセンバツ選考の時は高野連や毎日新聞社に本当に頭に来て、熱を出して胃腸炎と診断されたほどだった。センバツ選考をめぐっては何が問題だったのか、いまになってかなり問題が自分のなかで整理されてきたけれど、それはまた別の機会にまとめて書こうと思う。

 

話を戻して、なぜ自分が母校を追い続けるのかということになると、どこか僕は自分の青春を肯定したいのだろうと思う時はある。それはおそらく多くの高校球児にも通じることで、誰にとってもあの時代というのは特別な3年間で、同じグランドで甲子園を目指し、同じユニフォームを着て戦う現役の後輩たちをみると、なにか自分のことのようで放っておけない。もしも彼らが甲子園に出場したら、それは自分のあの時代が少し報われるような、そんな気がするからだろうと。無論、それはOBのエゴに過ぎないのだけれど、高校スポーツはきっとそういう現役の選手たちが知らない脈々としたものを常に引き継いでいるので、彼らは知らないところでたくさんの人が応援してくれていたりする。だからセンバツ選考から漏れた時、僕は「選手や父兄だけじゃない、OBも怒れる当事者だ」と本気で思ったものだった。

 

今年の夏も、母校は決勝で涙を飲んだわけだけれど、現地で観戦した僕は少し満足感を覚えた。それは不条理な選考による落選ではなくて、彼らが本気で戦い、出るべくして出た結果に向き合ったのが真摯に伝わったからだった。それから、まがりなりにも教育関係者となったせいか、彼らの人生を思う時、勝った栄光よりも負けた経験の方が大いに有益のよな気がしたこともある。人生に成功体験は必要だ。だけれども、彼らはもうすでに十分に、人からよくやったと褒めてもらえるだけの努力や戦いをしていた。結果はおまけだ、そこから何を拾い上げられるか、それが大事だと、僕は一生懸命な学生にほどいうようにしているけれど、それを一番実感させてくれたのは今回の母校の敗戦だった。きっと彼らにはそういう声は届かないし響かないだろう、またそれを考えてしまうこちらはそれだけ歳をとったということだろう、けれど、これは真理だと思う。

 

しかし、それらとは別に、僕のなかに一つほっとした部分があった。それは彼らが甲子園に行けないことで、僕が高校時代に残した宿題が片付いてしまわなかったことに対する安堵だ。最近はよくこういうことを考える。大学に務め、通訳者としても一応のキャリアを進み、学位も取得し、なんだか若い頃に思い描いた人生がおおよそ実現してきてしまったように思う。つまり、思い描いた宿題が最近はどんどん片付いてしまっていて、自分の向かう先がわからなくなっているような、そんな不安があったりする。そこに来て母校が決勝進出などとなったものだから、これも彼らに達成されてしまったら、もう過去の自分で形づくられるものはほとんど残らないのではないかと、そんな風に思いながら草薙に車を走らせていた。僕もそろそろ過去の宿題ではなくて、新たなテーマを人生に見つけなければいけないのかもしれない。そういう意味では、現役の悩める大学生とそうさして変わらないとも。