ニューリンがロケッツを去った1980-81シーズンにはすでにマローンはリーグトップレベルのセンターとしての地位を確立し、またマイク・ダンリービーやロバート・リード[要曖昧さ回避]らがチーム内で台頭を見せていたが、ロケッツの成績は40勝42敗まで下降していた。プレーオフには第6シードぎりぎりで出場を果たすが、彼らの前には上位シードの強豪チームが立ちはだかった。しかしロケッツはプレーオフで奇跡の快進撃を続け、1回戦でマジック・ジョンソン、カリーム・アブドゥル=ジャバーらを擁したロサンゼルス・レイカーズ、カンファレンス準決勝でジョージ・ガービン率いるサンアントニオ・スパーズと、当時を代表する強豪チームを次々と撃破。第7戦までもつれる激戦となったスパーズとのシリーズでマーフィーは大活躍を見せ、第5戦では36得点をあげると、勝敗を決する第7戦では大黒柱のマローンが体調不良に陥るというチームの危機を、マーフィーが42得点をあげて見事に救ってみせた。カンファレンス決勝ではやはり下位シードから勝ち上がってきたカンザスシティ・キングスを4勝1敗で降し、ロケッツは誰もが予想しなかったNBAファイナル初進出を果たす。ファイナルではラリー・バードらを擁し三度の黄金期を迎えようとしていたボストン・セルティックスの前に2勝4敗で破れ、夢のファイナル制覇はならなかった。

ファイナル進出以降成績が後退し始めたマーフィーは1983年に現役から引退した。引退した時点での通算17,949得点、4,402アシストなどはロケッツの歴代1位の記録だった。