今日のテーマは生と死です。 人間,生きていれば何度か生と死について考えることがあるんじゃないかしら。私個人も時々考えるんだけど,どれだけ考えても考えても,いつだって答は出ないわ。 だって,ケツ論はいつも同じだから。死ななきゃ,死なんて分かりようがないし,死んだら考えることなんてできないはずだから。しかも,ブーツ,死はいつやってくるか分からない。だったら,生きている限り,いつ死んでも後悔しないように一生懸命生きよう。 ここまでは毎回たどり着くわけです。問題はここから。たぶんだけど,私は比較的前向きな考え方ができる人間だと自分で思っているのね。それに,「どうやったらそんなにポジティブに生きられるんですか」と聞かれることも多いから,きっと周りからもそう見えているんでしょう。 セクシャルマイノリティで,未婚,当然結婚願望なし。お金がたくさんあるわけでもなく,しかもプロレスラーという不安定な職業で明るい未来も見えない。そんな状態でそうして,なぜこんなにポジティブでいられるのか? そういう疑問をよくぶつけられるわけ,ugg 偽物。 ……今,冷静に私の現状を文字にして読み返してみたら,これはこれで泣けてきたけど,まあ確かに何も考えずにプロレスのリング上で本能のままに性をむさぼったり,好きなゲイムをヤりたい時にヤってる姿を原稿という形で見せることで,私はお金を得ているわけだから,周りからそう見えても仕方がないわね。実際,その見方は間違っちゃいないと思うし。 では,どうして私は比較的前向きに生きていけているのか。それは,ゲイムがあるからなの。まだ明るい未来がたっぷりとあった10代の頃からなんだけど,私は「これが発売されるまでは死ねないゲイム」を常に持ち続けているのね。大ざっぱに言えば「ドラクエ20までは死ねない」とか,「PlayStation 10を発売日に買いたいから今はまだ死ねない」とか,そんな感じで。 今の例だとさすがに極端だけど,実際にはもうちょっと具体的に発売日が決まっていたり,情報が出ているタイトルが発売されるまでは死なないし,死ねないと思って,日々を生きている。そしてその思いは,新作情報が発表されるたびに,未来へ更新されていく。 それでね,誰かにこういうことを思わせるのって,エンターテイメントが果たしている社会への奉仕だと私は勝手に思っているの。そしてゲイムこそが,数あるエンターテイメントの中でも,一番その役目を果たしているんじゃないかとすら思っている
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