とある日の午前6時ころ。そろそろ起きて透析の準備でもしようかと思って居たら携帯電話が鳴った。
 しかも発信元は「40」から始まる電話番号。はて、どこの電話だろうと思いつつ着信してみると。
『hello Mike』
 ??? しかも流暢な英語である。わたしは思わず「は?」と声を上げたが。
『Oh! sorry』
 電話がそこで切れた。そして次はかかってこなかった。どうやら間違い電話だったようだ。
 英語圏の人はめったにsorryを言わないと聞いたが、間違い電話の場合はあっさりと言うのだろうか。そもそもわたしが流暢に英語を話せればいろいろと伝えられたのに残念である。
 電話を切ってヒゲを剃っていると思ったのが、そう言えば携帯電話に間違い電話ってここしばらく無かったよなということだ。そもそもAUで契約してから片手で数えられるくらいしか無いだろう。
 そもそも携帯電話であれば、キーパッドから電話をかけるケースは極端に低いと思う。大体は電話帳から相手を選択してかけるだろう。
 そのために相手の連絡先を知らないことも多い。なのでバックアップを取っていない携帯電話が紛失したり、水没したりすると連絡先が一気に消えて大変なことになる。
 iPhoneだとエアドロップで連絡先の交換も簡単に行えるし、フューチャーホンのころは赤外線通信で交換していたから相手のことは名前で認識しており、個別の電話番号を知らないのは不思議では無いだろう。
 そう考えると、携帯電話が出る以前の固定電話は、電話番号をいかに覚えるかが大変だった。途中でNTTの回線に端末を自由に繋げられるようになると、連絡先を記録できる電話機も登場したが、それまでは電話機の近くには必ずと言ってよいほど連絡帳リストがあった。

 今でこそ携帯電話の電話番号は13桁になっているが、固定電話の場合、市外局番を含んでも10桁で構成されていた。
 ちなみにNTTの電子交換機は、開発当初電話番号の記録は12桁までだったが、国際電話などの対応か途中で24桁となっていた。
 最後の4桁は電話局内の個別番号になるので桁数固定だが、市外局番と市内局番は合わせて6桁と決まっており、その桁数については電話局の設置状況によって変化していた。
 桁数の唯一の例外が東京都区内と大阪府区内で、東京の場合は03、大阪の場合は06の市外局番に、市内局番は3桁で構成され全部で9桁だった。
 03局は1988年に一部、1991年に全体的に4桁になった。06局では1999年である。
 実は03と06の市内局番を3桁にしていたのは理由があって、それは電話番号が覚えられる限界値が7桁と言われていたからだ。
 人間の記憶には短時間だけ記憶できる部分と、永続的に覚える部分がある。前者の短期間だけ覚えられる戸数は個人差があるが、通常は5個程度、長くても7個程度らしい。
 なので人間の会話中でも関係代名詞などが5個を超えるとなかなか理解できなくなる。長文や複雑な構文が理解できないのはこの短期間記憶の限界にあるようだ。
 この短期間記憶に電話番号を覚えさせる場合、7桁の数字を一つの記憶ではなく、数字をバラバラに覚えるようだ。なので7桁までは覚えられても、8桁になると理解が難しくなる。
 なので03と06の市内局番が4桁になるときは、覚えづらサを考慮し、既存の電話番号には先頭に3、新規の電話番号には5を付けることで対処していた。
 携帯電話での番号は固定電話と区別する必要があったため、市外局番を090としたわけである。そのころは携帯電話の電話帳機能を当てにしていたのかもしれない。
 このように電話機が電話番号と相手先名称を紐付けて記憶してくれるようになって、番号その者を覚えておく必要は無くなった。
 それが良いことなのかは、携帯電話の機能不全がそのまま連絡先の喪失に繋がるのである。
 とりあえず定期的なバックアップと、大切な連絡先は紙などに印刷して保存しておくことを推奨する。
 デジタルデータは永久に保存できると言うが、データの劣化が少ないだけで記録媒体の寿命は下手をすれば紙類より短い。
 ハードディスクは10年も使えないし、NANDメモリも書込回数に制限がある。それに比べると和紙の文献は平安時代からもずっと残っているのだ。
 大切なデータの保存は自己責任。種類を変えて慎重に行うべきだと思う。

 次回は、未だ続く都知事選のあとの騒ぎについて語りたい。