フジテレビが過去のドラマ、古畑任三郎シリーズを新作ドラマとしてリメイクを考えているようだ。
 その理由は6月に以前のシリーズを再放送したところ、時間帯のわりにそこそこの視聴率があったためで、これなら新作でゴールデン時間帯で放映すればいけるのではないかと考えたらしい。
 以前のシリーズのメイン脚本である三谷幸喜氏にはすでに許可を取っているということ。今は主役の古畑任三郎のキャストなどを決めているという。と言うのも以前のシリーズで主役を務めた田村正和さんはすでに故人であるからだ。
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 大方の反応は「無理」ということで。そもそも以前のシリーズを知っていれば古畑任三郎のキャラクターは田村正和さんのそれに固定されている。もしキャスティングに上がっている人物の中で木村拓哉以外の人物が古畑を演じたとしても、それは古畑を演じていた田村正和さんのものまねに見えてしまう。
 いっそのことハリウッドザコ師匠にやってもらってコメディ作品にしたほうが良いのではないかと思われる。
 ところで、キャスティング候補に上がっていた木村拓哉を抜いたのは、彼の演技力が抜群であり古畑任三郎を完璧に演じられるからではなく、そのまったく逆のことになりそうなので入れなかった。
 パウラチャンネルのパウラちゃんの言うところの木村拓哉、略してムラタは何を演じてもムラタになってしまう。つまり何かの役ができるのではなく、役はムラタそのものなのである。なので古畑任三郎も普通にムラタになるだろう。
 ただ、彼のファンは彼がスクリーンに映し出されているところが見たいだけであって、彼がどんな役であろうと関係無い。そういう意味では実にファンの期待に応えているといえる。ところで、まだそれなりにファンの方々はいるのだろうか。
 放映されても見ないし、それに金を取られるわけでもないのでフジテレビがどんな挑戦をしようと構わないのだが、昔の良いコンテンツまで使い潰すくらいなら、普通に再放送を繰り返せば良いのにとか思った。

 と、ここで終われば普通にフジテレビの批判なのだが、ふと思いだしたことがある。
 2019年の年末、NHKの紅白歌合戦に、美空ひばりさんをAI再構成、新曲を歌っていただくという放送がされた。
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 美空ひばりさんは保存されている映像や音楽コンテンツがたくさんあるため、当時のAI技術でも生放送の舞台でCGが唄う程度の合成は出来たのだろう。記事を見ると当時のタレントはCGとして復活したひばりさんの姿に興奮していたようだが、このひばりさんはあくまでフェイクであることを理解しなければならない。
 この映像が出た後でいろいろと意見が出ていたが、タレントの伊集院光さんは「自分の死後にAIで復活させない権利を確立したい」とおっしゃっていた。
 その気持ちは判る。伊集院光さんはラジオパーソナリティーとして長年MCを行っており、それこそ膨大なアーカイブが残って居る。
 それらをうまくつなぎ合わせることによって、ボーカロイドより自然に新しいラジオ番組を放送できるかもしれない。その恐れはコロナの自粛期間に、ご自身が罹患すればスタジオに出向くことはできない。
 リモートで放送もできるが、その時は録音を流すことで解決したそうだがAI伊集院光がいつの間にか作られたらどうしようと考えておられたようだ。むしろどこかの団体のプロパガンダとして、自分では生前に考えてもいないことをしゃべらせられるという恐怖もあるのだろう。
 あれから5年、AIによる合成技術は確実に発展している。会話型AIも母体となる人間のしゃべり方パターンを学習することで、本人がしゃべっているように合成することも可能だろう。
 そして画像合成のAIは、残されている動画データを再構成することで、すでに亡くなっている方の姿を作り出せるかもしれない。
 つまり、新シリーズの古畑任三郎は、AI田村正和さんが行う事になるかもしれないのだ。
 あの当時の古畑を再現するだけならいいが、当時の田村正和さんが演じようとしなかった芝居や、決して話そうとしなかった会話まで作られたら……そんな故人の尊厳を壊すようなこと、しないと今のテレビ界隈の連中に言えるだろうか。
 場合によったらコンテンツの映像はテレビ局のもの、すでに亡くなっているのだから許可の必要は無いとか言って好き放題行うかもしれない。大谷翔平さんへの対応を見て居れば、故人に対して何か配慮するとは思えないのだ。
 いつからこの世界は、死んだ後にのんびりとできる権利まではぎとってしまったのだろう。わたしは有名人ではないのでそのようなことは起きないが、わたしが亡くなってもAIびわほうしがこのブログを書き続けるかもしれない。
 その時は、せめてわたしが書かないようなことは取り上げないでほしいものである。

 次回は、新しいお札について考えたい。