テレビの全体的な視聴率が落ち込んでいるらしい。どれくらいかというとここ20年で半分ほどだそうだ。
 それに伴って民放テレビ局の広告費も、以前の半分ほどになっているそうだ。
【ゆっくり解説】テレビが完全にオワコン化?!20年で視聴率が半分になってしまった模様 作成者: しまむらいだーのお部屋
 2004年でのフジテレビ・月9ドラマ枠でのコマーシャルは30秒で一本1100万円、それでも出向募集が殺到しほとんどを断っていたが、今では枠が空いている状態であり費用も落ちているという。
 これは需要と供給のバランスを見事に物語っていることであり、わたしが関わった旅行関係のECサイトでも、同じパッケージツアーながら5月1日に開始するものと、5月6日から始まるものでは三倍近くの価格差があった。それでも5月1日からのものは売り切れて、5月6日からのものは余っていた。
 以前は大きな影響力を持っていたテレビも、昨今ではそれがすっかりと衰えているということだろう。
 昭和40年代にはテレビ、洗濯機、冷蔵庫は家庭にそろえたい家電の代表格だった。テレビは当初公共の存在だったがやがて金持ちの家にあるもの、それが家に一台おかれ、さらに一部屋に一台と変化していく。
 娯楽の中心はテレビであり、そこで放映されたドラマやアニメやバラエティは、職場や教室で話題になる。そしてその話題についていくために皆はテレビを熱心に見たのである。当時はリアルタイム視聴が基本であり、それを見逃すと話についていけなくなる。
 これによって視聴率はその時間帯にどれほどの国民がテレビの前に居るのかを示す数値であった。その数値が高ければ高いほど、番組枠に公告を出すことで多くの人に診て貰える。
 どんなに良い商品を作っても、それを購入してもらわなければ意味が無い。商品を売るためには認知度を上げなければならない。そのための手法はいくつかあるが、代表的なものが口コミを広げるか、それとも目立つところに公告を出すかである。
 今でこそインフルエンサーの活躍で口コミを作る事ができるが、当時としてはその効果が現れるのに時間がかかる。そのために大々的な公告を出すことで一時的にも多くの人の注目を浴びるようにする。
 テレビ局としても番組の視聴率が高ければそれだけ公告価値が高いことを示すことができ、代理店とともにスポンサーに対して多額の広告料を要求することができる。むしろスポンサーはいくら費用がかかっても、番組枠に公告を出したがるわけである。
 この視聴率が広告費と連動する形が崩れだしたのは、ホームビデオの普及がからんでいるようだ。それまでリアルタイムで視聴する以外手が無かったものが、ビデオに録画予約することで、好きな時間に視聴出来る。その録画したカセットを借りることで、別の誰かも視聴可能だ。
 何より公告を出す側の問題として、リアルタイムでは時間順に見るしかなかった番組が、視聴者の操作によって放映内容を早送りできる。つまり余分なコマーシャルをスキップできる。ビデオデッキの中には再生時に30秒などのコマーシャルを意図したスキップ機能があるものもあった。
 こうなるとテレビ局と広告代理店の手法としては、いかにリアルタイムに視聴させコマーシャルをスキップさせるかである。ハイビジョン放映が開始されたときのビデオコピー制限は、コンテンツを守ると言うより広告をいかにスキップさせないかの対策かもしれない。
 当時のスカパー!、今のスカパープレミアムでは一部のアダルト番組はビデオ録画ができなかった。これはスカパーチューナーからのビデオ信号がビデオデッキに繋がっていると判断すると、映像の明暗を操作するというものだ。ただしこの手法は有料放送だからできたことで、地上波の民放放送は原則無料なので難しいだろう。
 テレビにおけるコマーシャルの存在意義が疑われ出した頃、インターネットが少しずつ民間の手に落ちてきていた。
 ともかくインターネットは接続されているサイトの数が膨大であり、それらを探すのに使用されたのが検索サイトである。当初はサイト登録型のYahoo!がリードしていたが、そのうちロボットによる自動収集でサイト情報を集めるGoogleが帯刀してきた。
 ここでGoogleは検索その者は無償で行わせるが、検索結果に広告を交えるという方式をとった。これがどれほどの利益を上げられるかと疑問視されたが、「ググれ」という言葉が出来たようにインターネットでの検索サイトの地位を盤石としたGoogleは、同時に視聴率を稼ぐことになる。
 ここにユーザー登録型の動画サイト、YouTubeが連動することになり、いつでもどこでも好きな動画を視聴出来る環境が定着しつつあった。
 テレビとの大きな違いは双方向性だろう。地上デジタル放送では赤・青・緑・黄色のボタンを用いることで、視聴者からもテレビに参加が可能だった。しかし当初は固定電話回線による接続が必要であり、携帯電話の普及と共に加入数が減少する固定電話では対応が難しかった。
 YouTubeでは動画を作成するハードルを越えられれば誰でも発信者になれる。テキストベースのブログに比べると敷居は高いが、一般人がキャスターになることもでき、そして有名になればそれなりの報酬を得ることができる。
 そしてYouTubeの動画は視聴者が見る時間を決められる。そして繰り返すこともスキップすることも可能だ。視聴方法がユーザーに任されているのである。
 テレビもいろいろと配信を行って居るが、それを行えば行うほどコマーシャルの視聴率は減るだろう。そもそもテレビのインターフェースは時代遅れになっている。
 よく言われることだが、今後のテレビはニュースなどの速報性が高いものはNHKにまかせ、民法はそれまでに築き上げた古いコンテンツを再放送するのが一番かもしれない。
 古い番組の中にはコンプライアンスなどで放映できない物もあるし、それらを選別していくとキー局の統合もありえるだろう。
 わたしとしてはMXとテレビ東京が残れば良いかと思っている。最近はアニメも配信で見る機会が増えたし、よほどのことが無い限りリアルタイムでは視聴していない。
 以前は家に帰れば必ず点いていたテレビも、むしろ電気代の節約のためにコンセントから抜かれる始末だ。
 果たしてわたしが生きている間、テレビも生き残るのだろうか。テレビに負けないように頑張ってみようと思う。

 次回は、わたしが知らなかった東京土産について語りたい。