下北沢病院を退院後、透析クリニックへの送迎のスケジュールが少々変更となった。時刻に変化は無かったが、同乗者が変わったのである。
 わたしの住んでいる町には透析クリニックが無く、近所のクリニックは西、東、南にそれぞれ1キロメートルほど離れている。丁度正三角形の重心にいるようなものだ。今回の変更でわたしの居る町からもうひとり送迎車に乗ることになった。
 年齢は判らないがわたしより年上の女性であり、介護ホームからの乗車である。
 それでこの女性の言動を聞いていると、ともかく戸締まりと火の元の注意を介護ホームの職員さんに念押ししていた。
 送迎車に乗った後は自分の荷物の確認と、クリニックに提出する書類をドライバーさんに質問する。ドライバーさんも身体一つで向かって大丈夫と説明していた。
 行きはわたしが乗り込んだ後にその女性が乗ってクリニックに向かうが、帰りは女性を先に送ってわたしは最後になる。女性を介護ホームに送ったあと、ドライバーさんが。
「聞いていると判るかもしれませんが、あの方、少し痴呆があるみたいなんです」
 確かに同じ確認を何度も行って居たし、自分はこれからどこに逝くのかが判らない。自分はもう何をしてよいのか判らない、と判らないを連呼していた。
 介護ホームでのやりとりを聞いていると、個別の部屋に火の元になるものが無いそうである。女性には喫煙の習慣もないために火事になる原因は存在しないし、介護ホームの職員さんは24時間常駐しているために戸締まりにも問題無いのだ。
 確かに認識力の低下と思えるが、言葉ははっきりしているし身体もそこまで不安定では無いように思える。身体の具合で言ったら、わたしの方がよほど不安定だ。
 クリニックの職員さんも少しの痴呆ととらえているようだが、わたしとしては強迫観念では無いのかと思うのである。

 強迫観念はある種のトラウマによって自分では理解できているのに、無用と思える行動を避けることができない状態だ。
 前に務めていた会社の同期に、帰社するとき机の中の中身を全て確認しないと帰れない者がいた。
 確認の方法は引き出しを一つずつ開いて、そこにある文房具や書類などを指さしし声をあげる。一応周りへの配慮なのか音声は控えめなのだが、その確認を10分程度行うのである。
 時にいじわるな者が、確認中の物品を彼の目の前で動かしたりすると、確認は最初にもどる。該当の物品が入って居た引き出しだけで無く机の中身全体にもどるのだ。
 この行動、確認している本人もどこか不要と思っているのだが止めることができないのだそうだ。何故にそんなことをしているかの理由は、小学校の時の担任が、異常に忘れ物に厳しい人物で、朝のホームルームで忘れ物チェックをクラス全員に行って居たらしい。
 そこで忘れ物が発覚すると、ひとしきり怒られた後に、放課後に鳴ってから反省文をかかされたそうだ。
 またこれは知人の例では無いが、普段から清潔に気を付けている女性は、事あるごとに手を洗う習慣があった。
 ある日、彼女の住む町で伝染病が流行ったことがあった。それは町を流れる河川が媒体になったと聞いて、彼女は数日前、河川に手を触れたことを思い出す。
 それから彼女は何かあるごとに手を30分近く洗っていたそうである。手は真っ赤になっても、それ以上洗っても無意味だと思っても、伝染病にかかるという恐怖に負けてしまうそうだ。
 この強迫観念は比較的真面目で、物事を重く捉える人に置きやすいそうである。
 身近な例では外出した後に戸締まりがどうしてもきになって、途中から家に戻って確認してしまう人もそれに当たるだろう。
 本当に痴呆があるとしたら、むしろそれは逆になるのではないかと思うのである。つまり戸締まりや火の元についての注意が何も起きないのだ。
 どちらかというとそちらの方が何かあった場合の被害は大きいだろう。お年寄りが一人で借家などに住むときに、一番気になるのは火の元の始末がきちんとできているかだ。
 件の女性にどんな過去があるか判らないが、自分の意識が曖昧になっても火の元と戸締まりを気にしていると言う事は、まだまだお元気な証拠かもしれない。

 さて、女性が送迎車の中で「わたしはもう判らないばかり」と嘆く中、一人のドライバーさんがこう答えた。
「だめですよ、判らなくなったと連呼していると、本当に判らなくなりますから。きちんと判ると思いましょう」
 女性はあまり納得していなかったが、わたしはなるほどと思う。
 わたしはダメだ、わたしはもうおしまいだと自分で何度も繰り返すと、それが自己暗示になってしまうことはある。
 常にポジティブにとは言わないが、自分を否定しすぎるのもいけないのだと思う。
 ん? と言う事は、わたしも「実は目が見える」と言い続ければ目が見えるようになるのか?
 ただ、クリニックでそれを言うと「びわほうしさん、やっぱり目が見えていたんだ」とか言われそうである。
 仕方ない、それは心の中で呟くだけにしよう。

 次回は、日本テレビから発表された原作改編問題の報告書について語りたい。