先日、透析のかえりに送迎のバンを待っていると、通りから何かのデモ行進の掛け声が聞こえて着た。
 声は遠かったのではっきりは判らなかったが、季節的に例年行われているものだった。とある宗教団体の事務所に対しての撤去要求である。
 今の名前はアレフ、以前の名前であればオウム真理教の事務所である。これ以上書くと住所が特定されそうなので控えるが、わたしが覚えている限り年に一回、この時期に行って居るようだ。まだ継続されていると言うことは、まだ事務所もしくは道場はあるのだろう。
 1995年の地下鉄サリン事件を覚えていれば、それに関係した人々が事務所を構えているということで不安は募るのだと思う。このオウムがらみの話で嘘か本当なのか判らないが、いくつかの噂話がわたしの住む町でもあった。
 最近ではすっかりと見なくなった豆腐の移動販売。自転車の荷台などに豆腐をのせて、販売員がラッパを吹くことで周りに知らせるものだ。わたしの部屋の近所でも販売されていたのだが、それが或時を境にピタリとこなくなった。
 そのウワサを聞いた母親によれば、どうやらオウム関係の販売員だったらしく、それがばれてから来なくなったのだそうだ。何をまぜて売られているか判らないというウワサがあっという間に広がって、それまでは安くて良いと評判だったのにまったく売れなくなったらしい。
 確かにオウムの事務所近くでは弁当店が経営されていた。参議院選挙に出馬する前、そこまで活動が精鋭化する以前のことで、店の看板には麻原彰晃こと松本智津夫の顔のイラストが描かれていた。
 オウムがまだ新興宗教として注目されていない頃の潜入レポートを読んだことがある。いろいろな宗教問題を取り扱ったムックであったが、その1コーナーでオウム真理教に体験入信するというものだった。
 その頃のレポートを見てみると、信者たちは和気藹々としてどこかサークルのようなのりがあったようである。継続して参加するのも自由だし、強い引き留めも無かったようだ。同じムックのなかで幸福の科学も取り扱われており、どちらかというと信者への試験が義務化されているこちらの方が目立ったほどである。
 そのオウムがどこでどう間違ったのかは判らないが、すでに関係者の死刑は執行されて令和に時代は切り替わっている。
 それでも名前を変えて残って居る事務所に対し、あの時の恐怖を覚えている方々は、共存など無理と思うのだろう。気になると言えば現在の団体でも信者は少しずつ増えているらしいと言うことだ。

 こういうブログで取り扱わない方が良いのが宗教関係の話だそうだ。ローカルなブログであっても誰が見て居るか判らないし、そういうのをチェックする方々は、どんな小さいことでも突っ込まずにはいられないからだろう。
 以前にも書いたが、日本の憲法では個人の宗教の自由が認められている。どんな宗教を信じようとそれによって差別や処罰を受けることが無い。
 そしてそれは同時に宗教を信じない自由も保障している。
 キリスト教圏の方々にしてみると、宗教を信じていない者は野蛮な現地人という感じで、それらを知性溢れる者へと導くのが義務と言えるらしい。
 日本では今まで、宗教団体が政を仕切ったことがないそうだが、今の自公民耐性は、一部が創価学会の支配を受けていると言えるのでは無いだろうか。
 以前の会社の後輩に、キリスト教の洗礼を受けたという男性がいた。その彼に向けて宗教がらみの話をしてみるといろいろと面白かった。
 まず新興宗教の話をすると。
「キリスト教は古くからある由緒正しい宗教なので、新興宗教のように怪しいところはありません」
「神様の信頼を、免罪符として売っていたのは怪しいのではないの? あれって新興宗教のツボ売りとどこか違うの?」
 ここで彼は黙り込んでしまった。
 わたしから見れば、どんな宗教だって良いところもあるだろうが、怪しいところだってある。歴史が長ければ長い分だけ暗部はより存在するはずである。
 人々を良き方向に導くはずのものが、どうしても金銭と権威に紛れるのは、アムロが言うところの管理社会の末路みたいなものなのだろうか。
 どうもわたしは神様の存在は信じられても、それをあがめる宗教の存在に頼ろうとも思わない。両親は日本的に仏式の葬式で見送ったが、わたしはどこぞの無縁仏として適当に葬ってくれればよいと考えている。
 ただし、数少ないわたしの親戚が、そんな野放図を許してくれればの話だが。
 せめて戒名も墓標もいらない、今のうちにそんな遺言だけはどこかに作っておこうかと思っている初老の男であった。

次回は、かなりいかしたアメリカンコミックの話をしたい。