昨今話題になっているカスハラことカスタマーハラスメントだが、利用者の過剰な要求とクレームに対して、企業はどう対応すべきか問題となっている。
 ここで必ずと言って出てくるのが「お客様は神様です」だ。日本のおもてなしはお客様に無償のサービスを提供することから成り立っているが、そろそろそれも限界なのかもしれない。
 最近で有名になったのは車いす利用者が、段差のあるシアターで視聴を望み、車いすの移動を映画館の職員に頼んでいたことだ。この利用者は職員も快く応じていたと言うが、最終的には支配人に車いすで視聴が可能な場所の利用をうながされて差別と言い出した。
 その後利用者は映画館の上層部の方々と面談を行って、運営方針の変更を約束したと言っていたが、映画館側は車いす利用者への一部移動協力は行わないことを表明する。
車いす論議のイオンシネマ、サポート方法明文化「スタッフの肩や手で」「お客様とお話した上で」カスハラなら「お客さまへの対応をいたしません」JR東日本グループが発表
 よく車いすを持ち上げて移動すると言うが、これはなかなか大変である。わたしも目が見えていた頃、JRの新宿駅でホームに上がろうとしていた車いすの方を、近くに居合わせた男性3人とともに協力して持ち上げて運んだことがあった。
 このときは利用者さんは車いすに乗ったまま、その前後に二人ずつ配置してゆっくりと階段を上がる。確か季節が夏だったこともあってホームに上がる頃は暑さと緊張の冷や汗で汗まみれになっていた。
 利用者さんは深くお礼を言ってくれたが、昇降装置の無い場所での移動は大変なのだと思ったのである。
 ただ、これは本当に良かったことなのかと思うことがある。介護はきちんとした知識が無いままに行えば危険である。それは介護を行う方も、介護される方にも及ぶからだ。
 ここはきちんと職員に連絡し、ホームに引き上げる方法を検討するべきだったと思う。車いすインフルエンサーの意見としては、事業所の職員が対応できなければ一般の健常者が協力すれば良いと言われるが、責任問題に発展することもあるわけだし安易に行えないことも事実である。
 何故にそう思うかというと、これらの声の大きな方々は、健常者が協力して何かがあったとすると、おそらくは健常者の失態を大声で叫びだして問題になるからだ。傷害のある方々の意見として、障碍者も健常者も立場は平等であるべきというが、危険な行いに対しての配慮も同じで無ければならない。
 ここで思い出されるのがエレベーターの無い無人駅での電動車いすでの対応を求めた事件であった。
 ここでJR東日本は、お客様の要求にどこまで応えるのか野指針を示している。
カスハラ「対応いたしません」=厳格な方針発表―JR東グループ
 障碍者の要求を過度なものとするのはいかがなものと言われそうだが、総重量なら70キログラムを越えるような車いすを、駅員の手で運ばなければいけないのはどうかと思うのである。
 荷物運送のプロである宅配会社によっては、単体の荷物が30キログラムを越える場合、作業員は二人以上で運ぶのが規定となっている場合もある。
 ましてや荷物ではなく人間も運ぶのであればそこに大きな責任が関わってくる。それらを事業所の方々に義務だからと押しつけるのはどうかと思うのだ。
 わたしは目が全く見えないが、それでも美術館を訪れ展示されている絵画について、健常者と同様に理解できるように案内せよというリクエストは、過度な要求だと思うのである。どうやってもどう努力しても行えないことはあるわけで、それらをどこまで折衷するかは利用者も歩み寄る必要はあるわけだ。
 もし利用者が権利だけを振りかざせば、イオンシネマやJR東日本のように明確な禁止事項だけが増えていくと思うのである。
 公共施設は障害者も健常者も、それらにわけへだてなく利用できることが理想だが、それはあくまで理想でしか無いことをお互いが認識する必要があると思うのだ。
 権利はあってもそれを行使できるとは限らない。それをきちんと理解する必要はあると思う。

 わたしもカスタマーサポートの経験があり、クレーマーに近い利用者の存在は一握りであることを心得ているつもりである。
 大多数の意見はとても貴重なものであり、きちんと受け止めなければならない。だが、全てを無条件に受け付けなければならないとは思わないのである。
 多くのカスタマーサポート窓口は、チャットによる応答などオペレータへの直接接続を避けるようにしているように思える。今後はAIが対応すると思うが、今後良いサービスが受けられるかは、利用者のモラルにもかかっていることを考えるべきだと思う。

 次回は、来年まで頑張ろうという気持ちの話をしたい。