本日は成人の日で在り、日本中の決起盛んな若者が、いろいろと暴走する姿をテレビが面白おかしく報道する日で或。
 とは言いつつ、わたしの感覚では成人の日は1月15日なのだが、もはや1月の第2月曜日というのが定番になっているのだろう。
 祝日が日曜日と重なると、休みが一日損したように思える、その国民の声を聞き取って、祝日と日曜日が重なれば翌日の月曜日を祝日とする振替休日が設定された。
 そして時代は猛烈に会社のために働いて労働災害となるより、労働環境を改善して、与えられた有休は率先して取ろうとなったが、それが明和時代になっても変わらないのは日本人気質か。
 それならば強制的に連休を作り出せば良いと、特定の日付を祝日にするのではなく、特定の曜日、月曜日を祝日とすれば、土日と合わせて三連休にできるハッピーマンデーが施行されたわけである。
 今の所ハッピーマンデー対象は成人の日、海の日、敬老の日、旧体育の日である。一応日付固定で無いと問題となる建国記念日、憲法記念日、こどもの日、勤労感謝の日と天皇陛下の記念日については日付固定、春分の日、秋分の日は年によって日付が変化するために変わらなかった。
 ちなみにスポーツの日こと体育の日は、1964年に東京オリンピックが開幕された日なので、日付固定でも良いと思うのだが、2020年東京オリンピックでは7月に出稼ぎに行ったりと日付との関係性が低くなっている。
 勤労感謝の日はハッピーマンデーにできそうだが、ここは旧新嘗祭であり、国家的に大切な儀式の日なので固定にしかできなかったのだろう。文化の日は日本国憲法の実施開始日なので、これも変えられなかったと思われる。
 一応一年間に土日月の三連休が四回行われることになる。5月の初旬は昭和の日、憲法記念日にこどもの日と土日が重なり大型連休とナリ、敬老の日と秋分の日と土日の関係でこちらも中規模の連休となる。
 これだけしても国が定めた祝日にしか休まない国民性である。ついには付与された有休を、五日以上取らないと経営者側にペナルティが発生するようになった。
 実のところ、リモート環境で仕事をしているわたしは、年に数回ある定期検診の時に有休を使うだけで、一応10日程度は消費しているが、年度が超えるまでに前年度の残り分10日は切り捨てている。下手に土日に出勤すると、それを代休で消費しなければならない。企業によっては消費できない代休が賃金換算になることもあるが、形だけでも休ませようとするわけである。
 あとは世代が交代し、有休を取ることに対しての禁忌が無くなるまでこの傾向は続くのだろう。

 ところで、わたしは火木土に透析を行って居る関係で、どこかに出かけるためには月水金と日曜日を利用するしか無い。
 もともと引きこもりなのでめったな用事では外出しないのだが、年に三回程度東京医大病院で定期検査を受けている。
 普段の体調管理と投薬については、透析クリニックに一任しているのだが、もしもの場合にかかれるように、カルテと人脈を維持するために定期検査を受けている。窓口が大きく、設備が充実している大学病院はそれなりに結梨だ。
 そこで定期検査は月曜日と決めているのだが、最初にわたしの担当となった糖尿病担当医さんは常に。
「ハッピーマンデーなんて大嫌いだ」
 そうおっしゃっていた。
 理由は簡単、大学病院の医師は、外来の曜日が決まっている。そこで月曜日担当だとハッピーマンデーのある月はその他より一日診察日が少なくなる。
 休めるから良いだろうということではなく、その比に診察できない患者が前後の月曜日に回るために混雑が酷くなるのである。
 それに大きな病院というのは予約なしで飛び込んで来る患者さんもあるし、救急も受け付けているのでその対処も必要だ。外科に比べて内科の医師が立ち会うことは少ないが、それでも対応せざる得ないこともあるそうだ。
 一度腎臓内科の診察がかなり送れたことがあった。その理由を担当教授に聞いたのだが、訪れた外来の患者さんは、何と胃穿孔を起こしており緊急の手術になったそうである。その引き継ぎに時間を取られたそうだ。
 ただでさえ患者さんが多く、予約時間に向かっても予約通りに診て貰えるのは診察開始30分程度である。あとは少しずつスケジュールが遅れ、最終的に昼休みが取れているのか心配になるほどだ。
 それにまして休みの月曜日の代わりに押しかける患者さんが増えるのでは、まさしく過労と言って差し支えないだろう。
 それに外来に出ていても、それが終わると入院病棟の患者さんを見なければならない。大学病院であれば医師も研修医も、看護師も職員もたくさんいるのだが、それ以上に全国から患者がつめかける。入院してそんな状況を見ていると、病室のベッドでゆっくりと横にならないといけないのは、ここの職員の方々と思うわけである。
 まさしくわたしにとっては聖人であり、この休日はゆっくりと休んでほしい。
 と、言いつつ、今年は年頭からいろいろとお世話に鳴ることが確定しているのが心辛いところである。

 次回は、被災地における面倒な問題について語りたい。