以前にも説明したかもしれないが、意外と報道されないのがゲームなどの開発現場のこと。
 まだ目が見えている頃、テレビでファイナルファンタジーⅦの開発現場を報道していた。当然スクエアエニクスである。
 ここではそれまでの2D表現から3D表現に切り替わるためのいろいろな工夫を話して居たのだが、最終工程でソニーに提出するマスターROMの作成段階で、GOが出たところで連想CD-Rドライブが一斉に稼働する様子を見て、なんと7枚同時書き込みかと驚いたものだ。さすがはメジャーメーカー、金を持っている。
 当時、わたしの務めている会社でもソニーのプレイステーションに向けたゲームを下請けで作成していたが、CD-R書き込みドライブは1台しか無く、ソニーには7枚のメディアを提出する必要があるため書き込みを7回繰り返さなければならない。
 ちなみに書き込み速度は1倍である。つまりCD-Rの容量をほぼ一杯に使用すると、1枚の書き込みに70分は使用するわけで、7枚の書き込みには8時間近くかかる。のちに書き込み速度が2倍になるドライブも販売されたが、当然ソニーの謹製であり、かなり高価だった。
 もちろんCD-Rメディアも太陽誘電の特性であり、10枚セットで購入してもなかなかの高価格。
 さらに3枚はベリファイと言って書き込み内容が正しいかの確認を行わなければならなかった。何故にこのような枚数が必要かと言うと、ベリファイを行った3枚はエージングテストという、プレイステーションにCD-Rをセットしたままで8時間放置される試験に使われ、残りの4枚はソニーの検証チームで不具合があるかを確認するためである。
 エージングテストノ意味は販売店の環境を考慮してのものだ。通常販売店では業務が忙しく、ゲームのデモを実行している場合、それに触れることは無い。つまり日本での労働条件を考えると最低でも8時間はそのまま放置されるのである。その間に異常終了を起こすとデモ画面でみっともない姿を見せることになる。
 そこでエージングテスト中ではCD-Rをセットしてリセットを行ってから8時間もしくは異常終了するまでずっとビデオで撮影される。そこで異常終了するとその間のビデオが送られるわけである。7時間59分59秒で異常を起こした場合、その間のビデオが来るそうだ。
 それまでの任天堂に比べるとソニーのチェックはなかなか厳しい者であり、一発でチェックを通ることはまずない。このチェックを何とかするためにデバッグのためのゲームを行う専門の会社も増えた。猿楽町は高価だが確実に不具合を見つけることで有名な会社だった。
 この姿勢の違いは責任分担の違いにある。任天堂は開発メーカーから言われれば言われた分のROMを作成し、それを開発メーカーに卸す。つまり販売については開発メーカーである程度の責任を負われるわけで、ゲームが売れなくても任天堂への負担は少ないのである。
 それに対してソニーは開発したゲームの流通まで担っており、初期ロットの枚数などはソニーに決定権があった。その初期ロットの枚数を決めるための厳しいチェックでもある。
 どちらが良いかと一概には言えないが、ゲームの開発環境で言えば任天堂に比べるとソニーは、実に参入が楽になったと言える。

 当時の任天堂ではスーパーファミコンを販売していたが、そのための開発環境は4桁蔓延のクラスであった。
 ベースとなるのはソニーのNEWSと言うワークステーションである。これはモトローラのMC68020を搭載しておきながら、比較的安価でUNIXを稼働できるものである。安価と言っても比較的であり、最低オプションでも3桁万円は必要だった。
 それにスーパーファミコンのハードウエアをエミュレートするための追加ハードウエアと開発ソフトウエアの組み合わせでこれだけ高価になったわけだ。ここにはアタリショックを防ぐために、開発メーカーにハードルをもたせたものかもしれない。
 アタリショックとはググっていただけると判るが、コンシューマゲーム機への参入障壁を低くして、誰でも参加できるようにしたために低品質のゲームが大量に出回り、結局市場が崩壊してしまったものである。アメリカで任天堂が突き入ることになったのもこれが起きたためであろう。
 これに対してソニーの開発環境は実に安価だった。おおよそ10分の1程度の出資で開発環境を手に入れることができる。
 主なものはWindowsが稼働できるDOS/Vパソコンで、初期の開発環境ではISAスロットが3個、そしてフルサイズのISAカードが入る必要があった。ISAとはPCI以前の拡張スロットである。
 開発ハードウエアとしてはグラフィック環境のためのグラフィックボードがあり、これは拡張カード1枚で構成される。これに画像編集ソフトと組み合わせることで、プレイステーションで表示できる2dパターンや3Dモデルを設計できる。出力はNTSC信号となるので一般のテレビに出力する。
 もうひとつがゲームプログラムのためのもので、ISAとはPCI以前カードが2枚必要となる。これにCD-ROMエミュレーター用のISAとはPCI以前カードが一枚、これらに繋がるコントローラーボックスと、CD-ROMドライブになる。
 最大で3枚のカードと付加ハードウエアを付けることで、パソコン上でプレイステーションのゲームを開発し、その実行画面をテレビに映し出すことが可能となる。ちなみに開発は主にc言語と、当初は禁止されていたアセンブラであり、c言語の場合はソースレベルのデバッグ環境が提供されていた。
 一式を購入しても3桁万円程度で抑えられており、サードパーティーには入りやすかったのだと思う。そしてここでのアタリショック対策がソニーでのチェック体制であったわけだ。
 ただゲームのチェックは不具合に対してのものであり、ゲームその者の室についてはあまり問われない。質についてはソニーに対して企画立案の時点で、売れるゲームであることを証明しなければならなかった。
 それでも、そこをすり抜けて売れないゲームはできるわけである。ソニーのチェックは年々厳しくなり、チェック項目を記した文章は長く細かくなっていった。
 またソニーの開発環境は安価であったのだが。それでも複数購入するには予算が足りなくなる。そこで当時利用していたのがYahoo!のオークションだ。
 どうやらゲーム開発に参入したが、すぐに撤退したメーカーが個人名義で開発ハードウエアをオークションに出品していた。もしかしたらソニーからのクレームがあるかもしれないが、わたしの会社でもオークションで購入したグラフィック環境、プログラム環境を購入していた。
 のちにプレイステーション2となるとポリゴン表現能力が向上したため、開発環境もそれなりに高価になったようである。
 それに対して任天堂は、ゲームボーイやゲームキューブからは開発環境がわりに入手しやすくなっていた。そのころはサードパーティーのゲームソフトが少なくなっており、自社開発だけのゲームでは市場を支えられなくなっているのだろう。
 わたしが関係していたのはゲームボーイアドバンスとPSPまでであり、以後の環境については判らない。
 ただ、参入をどれほど容易にするかはプラットフォームがどれほど盛んになるかを決定するために、より作りやすい状態になっているのだろうと思って居る。

 次回は、おせち料理の危険な品目について語りたい。