恐らく四〇才を過ぎた頃だろうか、自分はすっかりと涙もろくなったと思う。
 海原雄山の有名なお言葉「人間の心を感動させるのは、人間の心だけだ」と深く共鳴するというのか、仮にも60年近く生きていると、平々凡々な生活を送りつついろいろな体験をしていたと思う。
 意外だったことは両親や友人の死に対して、とても悲しいはずなのに涙は出て来ないことだった。特に両親の場合はそれ以後に行わなければいけないことが山盛りだったこともあり、ゆっくりと悲しんでいられる時間がなかったのだろう。
 友人の場合はわたしが目が見えなくなってからであり、その最期の姿を直接見る事ができなかった。きちんと喪服を着て友人に連れられて葬式にも出たのに、その棺を目の前にしてもどこか現実味がわかずに、未だ存在するSNSを目の前にすると、亡くなったのだという実感が無かった。
 本来は一番悲しいはずの近隣の人の死というのは、それがあまりに悲しすぎるのか感情がオーバーフローするのかもしれない。一種の心の防御機能だろう。
 なのでわたしが涙するのはアニメやYouTubeの動画を聞いたとき。以前にも書いたが東京ガスの長いCM、家族の絆シリーズには何回も泣かされている。

 結局、わたしは家族を持つに至らなかった。こどもはおろか伴侶も見つかること無く、この歳でひとり暮らしをしている。
 それでも娘を嫁に出す父親の心境などを聞かされると涙が溢れてくる。友人の結婚式に出席したとき、新婦に対してバージンロードを誰と一緒に歩きたいですかとの質問に「今日まで育ててくれた父親と」と言われた瞬間に泣きそうになった。友人の嫁さんは初めて逢ったし、本当に他人事なのにである。
 さらに上を行くのが母親のエピソード。自分はかなり親不孝な息子であり、まともに親孝行をした覚えが無い。だからこそかもしれないが、親孝行をしている話や、親孝行が出来なくて悔いる話を耳にすると、その感覚が同調されて涙がこぼれてくる。
 会社では涙なんぞに縁が無い男と思われているが、それと似たようなエピソードが野球マンガの金字塔「巨人の星」にあった。
 星飛雄馬はアンダースローに転向して大リーグボール3合を完成させていた。以前の相棒であった伴宙太は飛雄馬の父親が率いる中日に移籍し、一徹とともに妥当大リーグボール3合を狙っていた。
 対大リーグボールのための秘策は、一徹の特別なサインで発揮される。それは帽子の鍔を降ろし、その下に指を当てるという者。
 伴宙太の打席になってベンチを見ると、一徹はそのサインを出す。しかし、それはタイミングが異なっていた。
 その後伴宙太は一徹にサインのことを訊ねるが、息子のことを考え、いつの間にか涙が出そうになった時、それを人にみられまいと帽子を降ろし、目頭に指を添えたのだと聞かされる。
 伴宙太は「鬼の目にも涙」と驚くのである。
 これをリアルタイムに見ていたのはかなり昔のことだが、未だに覚えている。セリフなどは異なるかもしれないが、このシチュエーションはわたしにも驚きだった。
 そして今ではわたしがそのようなものとなっている。
 透析の最中、時間を潰すためにYouTubeの動画を聞いているが、たまに感動する話を聞いてしまって、涙が溢れることがある。
 幸いというのか透析中はこちらが呼ばない限り職員の方々は注目しない。一度、透析終了ぎりぎりでそれをやってしまい、針を抜くときにも涙が溢れていることがあった。対応も涙声であったが、特に不審にも思われなかった。
 ただ、どうも落涙するときは心が歓喜するというのか、いつもに比べると血圧が高めであった。それ以後、最終的な血圧が怪しいときは、あえて感同型の動画を聞くようにしている。

 本当なら歳を取って毎日笑って過ごせるような生活が理想的と思うのだが、いろいろなことに感動できる生活も悪く無いと思う。
 まだ人生を振り返るのは早いと言われるが、この先一年は短くなるばかりである。
 それまでわたしはどれだけ感動できるのだろう。その出逢いをどこかで望んでいるのかもしれない。

 次回は透析の最中にトイレに行きたくなったらを解説したい。