何やらアメリカでは健康上のリスク回避と、二酸化炭素を減らすためにガスコンロの利用を規制しようと検討しているようである。
政府機関が「ガスコンロの使用禁止」を検討中、室内の空気を汚染して健康上のリスクを高めるという懸念から
 うん、何やら二酸化炭素をここまで悪者にして、今度はどこが利益を得るのか。東京都が新築の家には必ず太陽電池パネルを設置しなければならないというトンデモ規制を行おうとしているところと似ているが、こっちは地方自治体レベルでは無く国家レベルであるところが大きい。しかもジャイアニズムの極地たるUSAなので、そのうち同盟国にも圧力をかけるかもしれない。
 ちなみにわたしは健康上の問題と言うより、盲人故の安全性から調理器具はIHヒーターを利用している。その利用感については以前述べたが、使い勝手においてはガスコンロの方が上だと思う。
 また全てが電化された生活環境では無い。風呂と瞬間湯沸かし器はガスを利用しているために、ライフラインは電気・ガス・水道・光ファイバーとなっている。
 瞬間湯沸かし器はガスを利用していても、ガスコンロに比べると盲人でも安全に利用できるためだ。そもそもアパートの標準装備なのでこちらが勝手に取り外すことはできない。
 風呂についても電気で代行できるほどの電力契約を行って居ないし、使用アンペアを引き上げるためにはそれなりに派手な工事が必要である。そこはわたしの判断では行えないし、大家と管理会社は腰が引き気味である。

 それにしても、世間では目に見える形の炎を完全に無くすつもりだろうか。自動車などのエンジンにしても燃焼を伴う期間を完全に排除すれば、放出される二酸化炭素も激減し、地球温暖化は阻止できると思っているのかもしれない。
 まず大きな前提がある。人間は生きていくために大気から酸素を取り込み、体内で作られた二酸化炭素を放出している。人口が80億を超えた今では、何よりの二酸化炭素リスクは人類その者という事だ。
 内燃機関の自動車が燃料を燃焼して二酸化炭素を放出する量は、人間のそれに比べて大きいと言うかもしれない。それは自動車の運動量が人間よりよほど大きいためである。もし人間が常時時速50キロメートルで移動できたとしたとき、その時の二酸化炭素排出量はどれほどになるのだろう。
 何度も言われていることだが、EVが走行時に二酸化炭素をほとんど排出しないかもしれないが、EVを充電するための電気を作り出す段階で二酸化炭素は放出されないのだろうか。
 欧州の一部では発電のほとんどを水力発電で行って居るところもあるようだ。しかし話を聞く限り、全ての移動手段を電気に置き換えられる発電量には至っていないし、インフラを整えるための資金は、国内で算出される石油と天然ガスを他国に売ることで得ているという。
 もし本当に二酸化炭素を減らすのであれば、今、人類が得ている高速大容量の交通手段を諦めて、過去に戻って人力式の時代に戻らなければならないだろう。
 とかく陸上の交通手段に目が向かいがちだが、飛行機や船舶も二酸化炭素を放出している。すると飛行機はグライダーが主龍になり、船舶は全てを帆船に切り換えるつもりだろうか。
 ここで思い出すのがパオロ=バチガルピ著の「ネジ巻き少女」だ。この物語に登場する近未来は石油が完全に枯渇したあとのもので、パソコンも使うには足踏み気候の発電装置を自分で稼働しなければならない。
 動力源の主龍は大型獣などの物理的な力であり、それが産み出すカロリーが大切になる。そして内燃機関に代わるコンパクトな動力源は特殊な素材を加工したゼンマイで蟻、そのゼンマイを巻き取ってエネルギーを蓄積するのが象を稼働させる方法だ。
 しかしこの方法にしてもエネルギーを作り出すためにカロリーが必要であり、二酸化炭素は必ず出てくる。
 そこまで二酸化炭素を減らして、一体何年後に訪れる輝かしい未来に思いをはせているのだろう。
 ただ、わたしのように老い先短い人物と、自分の家庭があってこどもに未来をと思う人の間には大きな格差があると思う。

 考え直して欲しいのは、今のカーボンニュートラル運動が本当に将来的な問題を解決しようと試みている善良な気持ちだけで行われているのかである。
 何と言うか、日本で置き換えるとこれは、電通案件では無いのかということだ。
 日本で今後EVを本格稼働させるためにはさらなる発電量を確保しなければならない。もちろん火力発電はこれ以上増やせないし、水力発電も限界がある。
 天候が安定しない上に平地が少ない国土で太陽電池パネルの運用にも問題があるだろう。そもそも、森林資源は二酸化炭素を酸素に戻すための貴重なリソースだ。それを切り崩して太陽電池パネルに置き換える価値があるだろうか。
 話は変わるが、新井素子氏の章節で、地球支配を目論む宇宙人がとった方法が、地球上の植物に知性を与え、一定期間呼吸を辞めさせるように指示するものだった。植物の呼吸は二酸化炭素と光合成で酸素を出す者なので、つまりは地球上で必要な酸素が枯渇して動物は死滅するわけだ。
 日本の空気が隣国に比べて綺麗だと言われるのも、少ない国土に十分な水源があるのも、豊かな森林資源があってのことだろう。それと発電量も確定できない上に、廃棄処分にも問題がある太陽電池に置き換えるメリット・デメリットをもっと考えた方が良いのではないか。
 以前にも言ったが本当に日本でEVを実現するなら、原子力発電所を稼働させるのが一番だと思える。確かに福島の事故は大変だったが、あれは東電の管理面での落ち度などがあったことであり、核分裂エネルギーを安全利用するための技術蓄積は捨ててはいけないと思うのである。
 今の生活面を維持し、それでなお二酸化炭素を減らさなければいけないというのであれば、二酸化炭素の消費量を減らすのでは無く、酸素の供給量を引き上げるようにするべきではないのだろうか。
 つまり、もっと緑化製作を押し広めれば良いと思うのに、その動きは国際的に少ないと思う。
 人間はもっと植物との共存を真剣に考えてはどうかと思うのだが、これは盲人の浅知恵なのであろうか。

 次回はコロナ経過観察中に配付された食料について説明する。