今日は
私が在宅介護をするまでの
ザッとした流れと家族間の事情を
お話ししたいと思います。

大した内容ではありませんが
かなり長文になるので
面倒な方はパスして下さいね。
ではでは…


… ある朝
お風呂場で倒れている母を
家族が見付けました。
深夜の入浴中からずっと
脳血管障害で倒れていた様です。

当時 一人暮らしをしていた私は
この日から父と暮らし始めます…

搬送後 夕方から翌日にかけて
開頭手術を受けた母は
意識が戻らないまま集中治療室で
数日を過ごしました。

その後 意識が戻った母は
一ヶ月後に 隣の市にある病院へ
転院し そこで一年を過ごした後
自宅での生活を始めました。
私の初めての介護の始まりです。

母は 右半身が全く動かず
高次脳機能障害が残りましたが
母が入院していた一年間
毎日 病院へ行って
自分で面倒を見ていたので
不便はありませんでした。

そして しばらくして
当時 父母と同居していた
父方の祖母が転倒し腰骨を骨折。
寝たきり状態になりました。

すでに母を在宅介護していたので
父は祖母を施設に入所させようと
考えていたのですが
母の開頭手術と入院治療費に
何百万も支払った後だったので
経済的問題で入所を迷いました。
( 正確には この状態で 父か私の
どちらかが倒れた場合を考慮して
その治療費を残しておく為に
これ以上の出費は避けたいという
状況でした )

入所させたいけど 出費が…
出費は避けたいけど 介護は…

と悩む父を見ていられないのと
この家から 祖母を離すのは
祖母が少し可哀想かなと思って
在宅介護をすると決めましたが
「私が面倒みるよ」と言った時
父は相当迷っていました。

説明が前後してしまいましたが
祖母はとてもキツい性格で
父母にはもちろん 私に対しても
かなりの態度で接していました。
これは 祖母が生き抜いて来た
時代背景もあるのだと思います…

そんな訳で 子供の頃から
ちょっとエグい接し方を
祖母からされていた私は
小学高学年の頃から 強い頭痛と
高熱に悩まされて 度々通院。
大学進学と同時に家を出ました。

なので父は
私に祖母の面倒を見させる事は
酷だと考えていた様です。

気持ちの良い内容ではないですが
これが大まかな 家の事情です。

祖母の介護をした期間は
亡くなるまでの二年間位でした。
自分から言い出したのに
「何で この人の世話を
してるんだろう…」
なんて 頻繁に考えたり…

でも 母と祖母を同時に
介護出来た事は良い経験でした。

介護をするまで 祖母とは会話を
ほとんどした事が無かったので
すでに痴呆気味になっていたけど
話しが出来て良かったです。

祖母に対して 孫としての
愛情が湧いたかは疑問ですが
可愛がっていた外孫は全員
最後まで会いに来てくれず
私が作ったご飯を食べ
おむつを換えてもらって
毎日を過ごした祖母が
とても気の毒に思えました。

昔の祖母からは想像出来ませんが
「りんちゃ~ん。りんちゃ~ん」
と いつも私を呼んでいました。

そんな祖母に対して
孫としてではなく 人として
出来る限りの事をしてあげたいと
思ったのが 今にして思えば
唯一の愛情だったのかなぁ…

まぁ とにかく
そういう良い経験も出来たし
これからの人生に
生かしてゆきたいと思います(^^)

チョット余談です…
当時の母と祖母は 冷蔵庫が別で
同じ台所を使っていたのですが
母が買った調味料やジュース類は
祖母が半分 自分の容器に詰めて
キープしていました。

で うちの容器の空いた部分に
祖母は量増しの為の水を注入。
母が買った調味料もジュースも
油以外の液体は全て 色も味も
うっすらでした(((^^;)

そして毎日 仏壇にあげた
カピカピのご飯を
うちの炊飯器に入れてました。

ついでに書いちゃうと 祖母は
私達の外出中にタンスを開けて
キャッシュカードを持ち出し
現金を引き出して
自分の口座に移してました。

キャッシュカードの袋に
暗証番号を書いていた
母も悪いのです。

残高が底をつきかけた為
「うちに お金はありません。
もう とらないで下さい。」
とメモを挟んでおいたら
現金が引き出される事が
ピタッとなくなったそうです。
とっても素直。

もう 完全に祖母の悪口ですね…
スミマセン。恥じてます。

でも この一連の話は
友達にすると必ずバカウケです…
嘘みた~い なんて言われるけど
嘘じゃニャイです。

でもでも 笑ってもらえると
嬉しいですね(^-^)v
楽しいのが一番です。












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