ブレーキだけは本能で踏んだが、あと意識だけなくしてしまった
少し入院したから、光市のホテルにしばらく泊まった
で、室積の海岸を歩いていた
当時の僕は、父からどこに泊まるか、決めてくれ、大抵上手く物事が捗るから、と言われて
松山→高知→高松→松山あとは船で、下松へ渡るとだけ母に伝えたが
さすがの父もダウンしてしまい、母は見舞いに行く帰り、良く室積半島へ行き、海を僕らと眺めに行った
以後、反省したのか、旅行へ行くスケジュールは緩くなった
明日香一日歩いて眺めるなど、無理をしなくなった
みんなで、話しながら、ゆっくり回ろうぜ、となるが
●●くんの性格通り、のんびり緩いスケジュールだね、と言われたが
父がのびたのを見たから、注意するようになったか、その6年前に
反省をいつの間にかするようになるが
さすがに酷い計画を母に出してしまった
あの時は
車移動が激しすぎた
自分は中学最後の年、運転する訳はないし
父に無理が来るほど疲労させたのかと、かなりショックを受けた
父が死んだのかと、覚悟した
一週間逗留したのだが室積に、母と行ってみると、誰かも火野正平こころ旅に室積をリクエストした人もいて、居心地は悪くない
あんまり極端な移動はしなくなった
いや、無意識に避けている
ソウルなら、ソウル10日と決めたりした
父よりは体力があるとしても
いや、あるんだが
周防灘は宇部から見ても、下松から見ても綺麗だ
免許持ったら、代わりに後部座席に行って貰い、良くドライブした
道を地図で確認しながら、運転してるが
最後ぐらい、のんびり外を眺めるなり、眠るなりして頂くようにした

一度、室積まで行きたいが、その後行ってない
家族一緒に行きたいぐらいだ