力が漲る生活 | camouflage

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いつもの通り

世界史の先生が、何故か分からないか、当時ね、韓国史は必ず飛ばしていた
あそこやってくれたら、100点満点だった
もう、亡くなられたが

しかし、途中まで日本史も取っていた俺
早稲田出身の日本史の先生が、必ず日韓交流史を教えて下さった
渤海との交流とかまで

助かった

今、考えると
あの先生は飛ばさない先生だった

もう、辞められて、引っ越された
場所は長野県
住所不明





しかし、みんな、字が綺麗だったなあ、あの高校は
黒板に綺麗に書いて下さる
英語の先生の話は小説の中に、分析して書いたが
優秀な人材ばかりだった
スカウトされたのか、どうなのかは聞いてないけど、楽しい先生ばかりで
唯一、理科が全くダメだった

物理の先生は、文系組に丁寧に、機材を使ったりして教えて下さるのだが、全く分からなかった
4点しか、とれない
100点満点で
物理の先生も必死だったが、申し訳ありません!
父は、物理得意科目だったが、遺伝しなかった
父は、理系だ

夜遅く、父は起きていたが、超夜型なんで
数学が、分からないとこがあると、一時間ぐらいレクチャーしてくれた
多分、高校程度の数学を越えてるとこまでを
父も数学が得意科目で、それは引き継いだ

しかし、自分は理科が全くダメだった
俺も変て言えば変なんだが

俺は、お金が勿体ないとか考える、せこく小さい人間だが、三年間特待生を守ろうとし、何とかそう出来たが、あの辺りで性格が前向きになったと思う

楽しい高校だった
きっと忘れない、忘れ切れないだろう