
受験当時のうちの大学の偏差値
65越えてやがった
俺が青山学院のレベル下げたんじゃなかろうか、と思ったりしている
一度市川から表参道まで、日曜日の朝運転したが、快適だった
築地通って、青山通りに入るまで、ガラガラで早く着いた
体よく言えば、さっき出した記事、間違えて消してしまい
また書き直しているのだが
二度と同じ文章なんか思い出さない
韓国人兄さんが、俺が住んでる近くに物件を見つけた
で、荷物も出さないとならない
たまたま俺が4トントラックまで運転出来たので、レンタルで4トンを借りた
しかしトラックはコラムシフトでサイドブレーキも普通車と違うとこにある
コラムシフトは生まれて初めてだし
ついつい普通乗用車で多用するサイドブレーキがいつもと違う場所にある
荒川区町屋まで、トラックでコツを得ながら、兄さん家前の路地まできた
時々学校帰りに寄る路地が車幅ギリギリである
オーライオーライ、まだ行ける行ける
その声を信じて入った
途中の路地で壁ギリギリのとこがある
運転席から10センチ離れてないぐらい
さすがに荒川区町屋の路地、ちょっとやそっとでは行かない
荷物を乗せて、今度は後ろ向きにトラックを運転
切り返しが全く無理なんで、後ろ向きで
兄さんの声を信じてバックする
トラックの横、擦るような路地
広い道に出て安堵する
今はどんなんか知らないが、当時は普通の免許で4トンまで運転出来た
ミッションの車は当然運転出来る
ミッションの車がなくなり、オートマが主流
車を何故か三郷まで返しに行った
慣れたら鼻歌交じりになる
父は阿蘇にドライブに行った時、フットブレーキが途中壊れた
大観峰からカルデラに下りる時
で、サイドブレーキを使い、温泉まで頑張ったらしい
何らかの措置は、本能的に出たんだろうな
三郷から帰ったら、近くの北小金ボウルへ
学生料金、通いつめてた頃凄い料金だった
サッカー日本代表がなかなか韓国代表に勝てなかった頃
自分も何故か負けてばかりで
韓国の兄さんにはなかなか勝てぬままソウルへ行った
次はあの子が舞っていた