前回の話の続き。
クリスタルパパはオーストラリア🇦🇺では農場経営してるんだそうです。
代々やってる事業で、隣家が何百メートルも先という感じに農場に囲まれた一軒家で生まれ育ったと。
そうした土地の一部を売り払って、インドネシアで何かを始める資金にしたいとのことでした。
生活基盤をインドネシアに移すには、とにかく何か仕事をしないといけない。
外国人のクリスタルパパが働けるような会社は、ウォノソボにはありません。
外国人が仕事をするには、就労ビザが必要です。
就労ビザは年間で結構な額がかかるので、そんじょそこらの中小企業では就労ビザ代を出してはくれません。
就労ビザ代を出してでも外国人に来て欲しいという企業が、こんな片田舎にあるわけもなく…
というわけで、自分で起業するしかありません。
そのあたりのことを、何度かうちのパパに相談していたようでした。
小学校に上がっても家族ぐるみで遊びに行ったり。
やっぱりどうも難しいみたいでした。
言葉もわからず、
食べ物も合わず、
価値観も違う。
普段の簡単なやりとりならいざ知らず、仕事をするとなるとやはりある程度のインドネシア語は必要。
ゼロから新言語を始める、しかも比較的短期間で身につけないといけないというのは
高いハードルですよね。
食べ物はエスニック系が得意ではないとのこと。
うーーーんそれは厳しい。
ジャカルタやバリと違って、ここには西洋料理はほとんどありませんし、未だにマックもKFCもない。
仕事でインドネシアに来る駐在さんや帯同家族でもよく聞く話ですが、とにかく食べ物は毎日のことだけに、
合わないとかなり苦痛でしょう。
それに広い牧場でほとんど近所付き合いもなく育ったクリスタルパパには、
近所や親戚の人と物理的にも精神的にも密集して暮らすジャワの田舎はカルチャーショックもあったようです。
結局、慣れない土地でこれから先どうなるかわからない未来を切り拓くよりはということで、
今年の新年明けてすぐ、
学校のクリスマス会を最後の思い出に、
クリスタル一家はオーストラリアに引っ越して行きました。
でもクリスタルパパの家は火事エリアからは遠くて影響はないとのこと。
結構急な引っ越しとなったのですが、
なんでもオーストラリアは1月が新年度なんだそう。
だからクリスタルをオーストラリアの学校に入れるなら、新年度からあまり時間が経たないうちにということでした。
もちろんインドネシアで生まれ育ったクリスタルママや子供たちにとっては、初の外国暮らし。
今度はクリスタルママが私と同じ立場になるねーなんて話をして別れました。
クリスタルは、オーストラリアに友達ゼロなことを不安に思ってました。
だから学校の友達に大々的にお別れを言われると余計に悲しくなるからと、子供たちのお別れ会はしないでとの要望。
大人たちだけでささやかな最後の食事会をして、サヨナラでした。
クリスタルがいなくなってひと月くらいでコロナ騒動となったので、いいタイミングでの引越しでしたね。
引き延ばしていたらオーストラリアへ渡れなくなってたとこでした。
たまにSNSで連絡しますが、元気なようです。
きっとクリスタルもそのうちインドネシア語もインドネシアでのことも忘れていくんでしょう。
人生のほんのいっときでしたが、時間を共有できて良かったです。
そんなわけで、2年生は去年から1人減ったクラスでスタートしたというお話でした。