クリスマスのすぐ後、29日にご近所の青年アンドリ君の結婚式があったんですが、式はうちの村ではなく嫁さんの実家のあるカリウィロ郡でやったんですよ。
聖歌の伴奏はオルガン…ではなく、ガムランなのがジャワ式
青年アンドリ君はクリスチャンなので、教会メンバーは式に参加。
聖歌隊も兼ねてるので、朝からみんなで大移動です。
ここの教会は、以前は普通の公民館のような建物だったのですが、街の教会が中心となって寄付を募集し、立派な教会として建て直されました。
教会や司祭さんには序列があって、上の教会が下の教会の面倒を見るというシステムになってます。
適切な日本語が分からないのでこのブログでは『街の教会』『村の教会』と書いてますが、
正しくは街の教会はパロキ(paroki)、ここやうちの村のような教会はスタシ(stasi)と言います。
詳しい話はまたいつかにしますが、ざっくり言うと、インドネシア内には37の大きな教会があり、その教会の下にいくつかのパロキが、更に各パロキの下にいくつかのスタシがあるんです。
スタシの教区は村とかの集落単位で、それを束ねるのがパロキ。
スタシには神父さんがいなかったり設備が足りなかったりするので、パロキが助けたり、同じパロキの下にあるスタシ同士で協力したりするというわけです。
そしてお嫁さんはこれからご近所さん、よろしくねー
さて、クリスマスにはジャカルタの義姉一家も帰省しました。
従兄弟たちが全員集合するのはこういう時だけなので…
皆で街に出掛けたり。
義姉家のキラナ、キアノ、
我が家のお兄ちゃん、小僧さん(乙)、
義弟2家のクインシー。
2016年7月、義姉の旦那さんが脳溢血で亡くなりました。キアノはまだ生後3ヶ月の頃です。
義姉は元々カトリックでしたが、結婚を機にイスラムへ改宗しました。
インドネシアでは宗教が同じでないと結婚出来ません。
違う宗教のカップルが結婚する時は、どちらかが改宗します。
インドネシアには国が認める6つの宗教があり(イスラム、カトリック、プロテスタント、ヒンドゥー、仏教、儒教)、国民はそのいずれかを信仰します。所属宗教は身分証明書に記載されるほどの重要事項で、無宗教というのはあり得ません。
義姉は結婚してイスラム教になり、その後生まれたキラナもイスラム教育を受けていたと思います。
12月…つまりクリスマス前後は、非クリスチャンにとってはただの平日なので、キラナたちも特に帰省はしていませんでした。
ところが、2016年義姉旦那が亡くなり、義姉は初めて12月に帰省しました。
そして今回も。
そればかりか、今回は義姉はミサに参加したのです。
キラナやキアノを連れて。
イスラム教を信仰していながら教会へ通うことは考えられません。
ミサに参加した以上、義姉は再びカトリックを信仰することを選んだのでしょう。
身分証明書の記載はどうなっているのか分かりません。結婚で改宗したものを、再び改宗する為の手続きがあるのかどうか、私は知りません。
もしかしたらKTP(IDカード)の記載はイスラム教のままで、信仰だけ変えたのかもしれません。
旦那さんが亡くなり、どのような環境・心境の変化があったのか。
当時はとにかく大変でした。
しかし実はこうしたケースはそう珍しくないんです。
結婚し、イスラム教に改宗したものの、離婚し再び教会に通う人。
一方で、カトリックに改宗はしたけど、一度も教会へは行かない人。
また結婚でムスリムに改宗したけど、子供は祖父母について教会へ来ているというケースもあります。
どこかの宗教に所属することは義務ですが、実態は必ずしもデータ通りではないかもしれません。
インドネシア人にとって、宗教とは教養でもあります。
どの宗教であっても知識は必要で、社会人として豊富な宗教知識を持つ人は尊敬されます。
それらは『読み書き算盤』と同じくらいに教育の項目として重視され、幼い頃から学習し身に付けるのです。
ところが、今回の義姉のように、親が途中で信仰を変えた場合、子供も一緒に宗教の渡り鳥をするんですよね。
キラナも、教会にいる間は周りと同じようにしていました。
義姉にとってカトリックは古巣ですが、キラナには馴染みのない場所です。
2、3年前まで、キラナは母親の実家がクリスチャンだということも知らなかったんです。
彼女はこれからどこを居場所にするんだろう。
教義の面から、イスラム教とキリスト教を掛け持ちすることは不可能です。
学校ではイスラム教育を受け続けるんだろうか。
モスクと教会と、彼女が本当に行きたいのはどちらだったんだろう。
宗教の知識は、今後の進級や受験などにも関わってきます。
イスラムならイスラムの、カトリックならカトリックの知識を…と、勉強の方針も決めなければならないでしょう。
どの道へ行くのであれ、キラナが納得して勉強出来ればと思います。
一方で、宗教渡り鳥をした子供たちは、他の子には無い多彩な視点を得られるのだろうとも思います。
宗教間の問題で対立やイザコザが起きることもあるインドネシアで、複数の宗教を経験した子供たちなら多様な観点を提示出来るのかもしれません。