あの忌まわしい、未曾有の大災害から一年が経ちました。
多くの皆様が記事を書かれておりますので、私は粛々と記させていただきます。
あの日からの私たち、仲間の動き、活動の様子は昨年5月24日付の私のブログ記事「お知らせ」をご覧いただきますれば幸いに存じます。
思い出すのは辛いですが、今だからこそご覧いただきたいなと思っております。
多くの皆さんの命が奪われ、そして未だに行方がわからない方が沢山いらっしゃいます。
しかしながら、マスコミや日々の生活の中で、早くも風化されつつあると感じ、とても憂いでおります。
政治も同じくです。
与野党、互いの思想信条を殺しても一枚岩になり、万難を排しても急がなくてはならぬことを棚に上げ、見難い争いを繰り返すような、実に稚拙なる愚行を繰り返しています。
原発にしてもそう。
昨年末に収束宣言を早々と出していながら、未だに手を付けられず…
収束なら、直ちに健康に害がないなら、自らが率先垂範として突入して燃料棒を回収すればよいのです。
いかにあの集団が「仏作って魂入れず」なのかが良く分かりますし、やたらと乱立させた対策本部も議事録さえ残さぬパフォーマンスだけの烏合の衆、まさに「船頭増やせど船動かず」の典型。
無能さが良く分かったと思います。
この他力本願とも思える無責任さ、本当に助けを求める声に背を向ける、情に欠けるのは政治家だけに収まらず…
震災翌日には被災地で、ローソク1本を高額で売る他地域ナンバーの車が現れたり、避難して留守になった家を狙う窃盗が現れたり…
人としてのモラル、在り方…
これらを含めつつ、我々は尊き犠牲の上で何を省み、そして後の世に何を引き継ぎ託すのか?
いま一度、しっかりと考える必要があると思います。
残念ながら自然、災害に勝てる人はいません。
だからこそ、忘れてはならない、風化をさせてはならないと思う次第です。
この場をお借りして、東日本大震災で被災された皆様へ心からお見舞いを申し上げますとともに、犠牲になられました多くの尊き命に謹んで哀悼の意を表します。
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