懐かしさに想うこと | 崖っぷち十番勝負

崖っぷち十番勝負

日々新又日新(ひびあらたにして、またひびにあらたなり)
我以外皆我師也(われいがいみなわがしなり)



高校の先輩のプロデビュー戦の映像を見つけた。












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小桧山雅仁。
投手。桐蔭学園高校から慶応大学へ進み、慶応を連覇に導く活躍をし、社会人の日本石油に入社。
都市対抗でも活躍、バルセロナ五輪に出場し、対プエルトリコ戦では完封。銅メダルを獲得し
ドラフト1位で横浜ベイスターズに入団。現在は現役引退し、TBSラジオに入社。



不思議と呼吸が合う。
先輩後輩のしがらみを抜きにして、一番仲良くさせてもらっている人だ。
散々、夜も街に連れて行ってもらい、悪い遊びを教えてくれた人だ。




以前、先輩はひじの靭帯を断裂し、再起不能と言われた。



先輩は野球人生をかけて手術に踏み切った。
当然、靭帯は切れたら最後。二度とくっつかない。
そこで、左の腕、手首からひじまでの間に1本ある腱を抜き出し
3本に切った上で、三つ編みにして靭帯の代わりとして移植したのだ。




歩くだけで腫れた。
投げたくとも投げられない…投げても女の子のような距離しか投げられない。そんな時期が続いた。




徐々に距離とスピードを戻し、何とか2軍戦に出られるまでになった。
しかし、1度メスを入れたひじである。
140kmを超えるスピードはもう戻らなかった。



先輩は変化球に生きる道を探した。
元々、変化球の上手い投手だが、権藤監督の指導もあり「チェンジアップ」を覚えたのである。



苦しんだ甲斐があり、やがて復活の日が訪れて来た。
1軍に呼ばれたのである。



対広島戦。7回2アウト。
リードを許した場面での登板。所謂ところの敗戦処理である。
楽な場面でと言う監督の気遣いでもある。
精一杯投げた。そしてゴロに抑えた。



神は見ていた。おチャラケの多い男が、何もかも捨てて命を懸けて挑んだ闘いを。



裏の回で打線が爆発。
逆転して勝利投手になったのだ。



涙を浮かべながら声をひっくり返していたヒーローインタビューを今でも良く覚えている。




努力も教わった。諦めない姿も教わった。
先輩と後輩はこうあるべきだと今になって良く思う。
私は後輩に背中で何を教えられるか…
そればかりを考えている。





ちなみにこの映像は入団1年目の姿だ。
私は当時20歳になったばかり。この日はここ東京ドームで見守った記憶がある。




何だか怖いほど、時間が経つのが早い気がする。






私は人に見せても恥ずかしくない人生を送れているだろうか?