この日にふと思うこと | 崖っぷち十番勝負

崖っぷち十番勝負

日々新又日新(ひびあらたにして、またひびにあらたなり)
我以外皆我師也(われいがいみなわがしなり)

今日はある日である。


詳しくは申し上げぬ。



ただし、昨今のブーム過ぎる風潮には苦言を呈したい。
時代は常にリーダーを求めると言うが、それは本当であろうか?



古今東西、時代の寵児と持て囃される者には脆弱さがある。そして、それに飛び付き、流行に乗ることも同じだと言えよう。



大河で扱う主人公は大概は流行る。
そしてまるで御輿のように担ぎ上げられ、書店やテレビは便乗する横恋慕のような商売が目を惹き、猫も杓子もその色に染まる。




篤姫の時はドラマを観て「小松帯刀が篤姫と交遊があった」と信じながら、幕末の一端を語る者が沢山いたと言う。




これは原作者または脚本家の「そうあってもらいたい」的な希望もあるのだろうが、ちやほやされる司馬作品でさえおかしな史観が多い。



いま放送中の大河が顕著だろう。
あの主人公は司馬作品によってアイドル化されただけである。



私は彼を考えるときに、いくつかの商売人を思い出す。



例えるなら「ハゲタカファンド」や
「倒産寸前の会社へ出向き、現金を見せびらかし原価に近い価格で買い叩くディスカウント屋のバイヤー」などが浮かぶのだ



数代前は小商人であり、武士の身分を金で買った「なんちゃって武士」



それ故に序列や仕来たり、武人の本懐など関係なし…
下級武士だから脱藩なんて単なる宣伝文句に過ぎない。



死の商人と言える武器商人で楽をこいて大もうけし、田舎大名に詐欺を吹っ掛けて大儲け…


法螺吹きの勝に唆され、大政奉還案を盗作、百々のつまりにゃ幕吏殺しのお尋ね者…



端的に畳み込むなら「国家転覆を企て実行に移したテロリスト」であり、騒乱罪にあたるような輩をヒーローとして捉えるのは、連合赤軍を神格化するのと似ている気がするのだ。




有りもしないで捻じ曲げであろう剣術の達人説も含め、彼をヒーローに持ち上げ、間もなく2部がスタートする「坂の上の雲」も書いた司馬は、太平洋戦争に出征していた当時から国へは反体制の思想を持っており、復員後には大阪市にあった革新系の人間が経営する新世界新聞社に入社して勤務していたと言う事実も忘れてはならないだろう。



辛辣に思われるだろうが、我が家はその不逞の輩に倒された側である。




娯楽として観るなら良いだろう。
しかし、彼はこうだったと事実かどうかも分からぬ話をさぞ「正論」のように振りかざす言い方や風潮は、不愉快なこと窮まりない。



従って、子孫・末裔として、私には物申す資格が多少はあると思っている次第である。





徳川は彼が動かぬとも自然と崩壊したであろう。

我が家に遺されている古文書にも当時の混乱ぶりが窺える記述がある。




それを見る限り、御三卿の一角である一橋徳川家でさえ衰退の一途であった事が見て取れる。









彼が残した功績とは何ぞや?

それこそ時代が証明したではないか。






後に近代化を急いだ日本は富国強兵を急ぐあまり大陸政策の行き詰まりを起こし、焦土と化した我が国




そして飽食の時代を迎え、各々の努力と運によって豊かさを手に出来るようになった。







しかし忘れてはならない。それと引き換えに「忠」「勇」「義」に生きる武士の魂を失ったのだと言う事を。






金儲けも良いだろう。自由にしたら良い。





しかし、彼の一攫千金狙いの考えを讃える風潮は、現代における「法に触れなければ何をしても良い」的な社会の歪みのように感じてならない。





この時代にはかっこよく見えるかも知れぬ。

実業家が注目を浴びる世の中だ。





でもあえて言いたい。

当時の武人のあり方としての「ものさし」で測れと。





故郷を捨てて逃げ、造反を起こすような武士など、本来は介錯付きの腹切りで然るべきなのだから。