あの日を風化してはいけない…

 

検索をする人がどれだけいるのか

 

正直、私自身は年に1.2回有るか無いかです

 

思い出したくても、全容を思い出すには困難となっている

 

その日、どこに居てどの工程を通って帰路に着いたか

 

それから、ライフラインが完全復旧する(ガス.電気.水道)まで

 

それ以降

 

大分類しても、所々の記憶が風化している

相互間の認識の違いによっても現象の印象は大きく変わっている

 

彼処に逃げて居たら

あれをやって居たら

 

後悔?とは違う違和感は残っています

 

2012年6月末をもって前職を退職し今に至る訳だが、辞めた事が果たして正しい選択だったのか

 

それ以降の選択は正しく出来ていたのか?

 

人から観たら、一様に不正解と判断するでしょう

 

私も正直そう思いますが、この道を選んだから今の私が有るのもまた事実

 

事実に対して、目を背ける事無く有りの侭受け入れる

 

有りの侭って、思って程簡単な事は無い

 

あの時の映像は未だに直視する事は出来無い

 

しかし、あの日の選択が違っていたら生でそれを体感し目の当たりする事となって居たらと思うとこれで良かったと思える

 

亡くなった片方への報いと謂うと大袈裟では有るが、生き抜く事と自分から命を諦め無い事

 

これだけは出来る事で有る

 

これから

 

全ての現象に意味がある