こんにちは。
Co-leadersのSHIHOです。
3.11.ですね。
10年前の3.11.あなたはどこで何してましたか?
きっと色々なことが、変化する転換点だったのでは?と思います。
丁度10年。節目の年でもあるので、
自分自身のこの10年の歩みをこの機会に自分のために
振り返っておきたいと思います。
※注釈:私は2008年に出産し、同年に離婚しています。
2011年3月11日 (リクルートで営業)子供は当時2歳(シングルマザー)
私はリクルートで求人広告の営業をしていました。
あの日は金曜日で、週刊誌を発行していたため、15時の〆切の前後でバタバタとしていました。
あの地震の時は、新橋のオフィスでお客様と電話をしていました。
急激な揺れにより、電話を切り、会社の外にとりあえず避難しました。
その日は電車がすべて不通となり、千葉の自宅までは帰宅できず、会社に泊まることになりました。
携帯は使えず、駅近くの公衆電話から自宅に連絡がつき、子供も祖父母が見守ってくれており無事を確認できました。2歳になる息子と初めて電話をした時だったかなぁ?不安な夜でした。
2011年11月末 (リクルートを退社→人材紹介会社のキャリアコンサルタントに転職)子供は当時3歳(シングルマザー)
震災後、自宅待機の時期もある中、その後より家に近い勤務地にという会社の計らいがあってか、
4月以降千葉の営業所に異動になりました。自宅から近くなることは、あのような災害の可能性を考えると有り難いことでした。同時に、「子供を預けてまでする仕事ってなんだろう?」と働くことへの疑問が更にましてくる様になりました。9月くらいから、初めて「コーチ」を自分につけて、その問いに向き合うようになっていました。
勤務地が近くなったことは喜ばしいことではありましたが、新卒の頃からずっとやっている、この求人広告の営業という仕事に意義があまり見いだせなくなっていました。働く母親になり、見えてくること、今後のキャリアへの不安それを抱えて、「人のキャリアを応援する仕事をしたい」と思えるようになったのです。
ほぼ転職と同時に、「コーチングを学ぶ」ことを決意しました。(コーチングセッションで決意しました)
新しい会社では、まだ有給休暇が半年経ってからでないと付与されないにも関わらず、コーチングのトレーニングには通う決意をしていたので、「欠勤」になっても平日1日を休んで、学びに行っていました。
コーチングの学びは、どこまでするかを決めずに始めたものの、
どんどんのめり込み、最終的にはプロの資格を取得するまで進むことにしました。フルタイムの仕事をしながら。
2013年7月 (人材紹介を退社→コーチとして副業をしながら、人事の仕事へ転職)子供は当時5歳(シングルマザー」
プロコーチになるまでの道は、それはそれは、必死で。フルタイムで働き、都内までの通勤に時間を費やしながら、夜は子供の寝かしつけをした後に、毎晩コーチングのトレーニングやセッションを入れて、自分の時間なんて一秒もなかったほど必死でした。でもその学びの中で、「コーチングの活動を止めちゃいけない」という確信を持って、今のようにフルタイムで働きながら、コソコソとコーチングするのではなく、堂々とコーチでありながら、食いっぱぐれもできないので、企業に勤めて働く必要もあったのです。そんな中で、給料は減ったが、コーチとしての活動を認めてくれる会社に出会い、給料が減る選択をすることは怖かったが、選択しました。
2013年9月 個人事業主として開業 子供は当時5歳
コーチングを事業として始めました。仕事旅行社で「コーチになる旅」というワークショップもスタート。
仕事をしながらは、時間的にとてもタイトではありましたが、自分が真にやるべきことを見つけた私のエネルギーはどんどん外に発するようになりました。
最近も、久しぶりにオープンしました!
3/28に開催します。
2014年11月〜2015年8月 リーダーシップ・プログラムに参加 子供は当時6歳〜7歳
プロコーチの資格は取得。そして、私はここからどう生きるのか。
お金を投資して、スキルを得る、その予定調和は未来までは歩んできた。ここからは
どれだけ予定調和じゃない世界を生きられるか。つまり、コーチとしてどう生きるか。
その問いに向き合うために、今まで見ないふりしてきた、「リーダーシップ・プログラム」への扉を叩いたのです。今までにコーチングに費やしてきた時間やお金以上の桁外れさにビビっていました。
が、そこで人生最大の学びがあったんです。
人生のパートナーを得るということ。
2015年12月 3社目の人事の仕事を退職(会社員卒業)→再婚 子供は当時7歳
リーダーシップ・プログラムの旅路を終えて、交際期間0日で、私とパートナーは結婚することを決めました。
ただ、子連れの再婚、遠距離、様々な道なき道をどのように超えていけばいいか、方法は皆無。
私達はシステムコーチングという手段を得ながら、遠距離の中、道なき道を対話を築きながら作っていきました。
その選択は、「これ以上傷つきたくない」「人をもう一度信じていいものか」と思うシングルマザーの私にとっては、とても怖いカケ。子供も親も巻き込んで、もしまた失敗したらどうしよう、、、、目の前のパートナーのことは信頼したい気持ちは山々だったが、不安が消えませんでした。
でも、もしかしたら、今になって思うのは、「母親が反対してくれていた」ことが私を前に進めたのかもしれないとも思います。
当時は、私が幸せになろうとしていることを応援してくれない母親に憤りの気持ちがあったが、彼女が「素直に喜べない」というロールをとってくれたからこそ、私は反骨心で!?前に進もうと思えたのかもしれない、と今は思う。
当時は、今までシングルマザーになってからの数年、親のサポートなしでは仕事も子育ても両方やることなんて、到底できなかったくらい全面協力をしてくれていた親を裏切る行為(再婚)であって、酷い仕打ちだというような意味付けをされていて、私自身も苦しかったのです。
2016年2月 入籍 子供は当時7歳
2016年4月 京都での生活がスタート 子供は当時8歳 プロのシステムコーチなる学びを始める
ステップファミリーという血のつながらない家族をつくるというプロジェクトが始まりました。
パートナーと子供の関係は?子供の心理的不安は?様々なことが未知数でした。
私は会社員を卒業して、独立。個人事業主一本で、どこまで仕事をしていけるのだろう???
不確定要素しかありませんでした。
それでも、この再婚のプロセスで経験した、システムコーチングというものが、ものすごく、道なき道を作っていく過程で大切であり、有効だったので、私もプロのシステムコーチになるべく、その学びの旅を始めたのもこの時。
2017年2月 株式会社を設立(私が個人事業主としてしていたことを夫婦の事業として法人化)子供9歳
結婚生活を1年やってみて、我々は更に一緒に事業を育んでいきたいよね、ということに合意して、会社を創ることにした。きっかけは、夫が「会社辞めたいかも、、」という一言をつぶやいたところからでした。
以前の結婚の時には、夫にも「経済的な自立」を一定数求めていた自分がいて、それがないと、自分も不安というところにいたので、相手が仕事をし続けられないかもしれないということに対して、「あり得ない」が先行していたのだと思うけれど、この時の私は、「会社を辞めたい」という彼の言葉にYESと言えたんだと思う。そして、彼の可能性を誰よりも信じられている自分がいたから、(リーダーシップ・プログラムを経て、自分も彼も、真のリーダーだということを心から信じられていた)「じゃ、一緒に会社やろう!」と言えたんだと思います。
こんな優秀な人材を生かさない会社があるなら、あらっ残念!(ちょっとやったー♡)私が組ませてもらいますわー!そんな感覚!?笑。
結局、彼は今でもその会社を辞めずに、パラレルワークをしているのだけど、いつでもここを辞めてもいいんだ。と思えたことは彼を楽にしたし、心強かったみたい。
2018年7月 システムコーチングを教える仕事に就く(オーディションに合格!) 子供10歳
私はパーソナルのコーチングに最初興味を持って、そのパーソナルコーチとして、今後どうあるかということを探求するために、リーダーシップ・プログラムを受けたけれど、そこでの学びは「関係性」にあったということを学び、そこから、更にもうもう一段、学びの旅をそこから始めちゃったんですよね。
そしたら、あらまぁ、どんでもない世界が待っていて。
パーソナル・コーチングを初めて体験した時には、
今までの世界が2次元から3次元になるくらいのインパクトを受けたのだけど、
システムコーチングを体験した時には、さらに、
今までの世界が3次元から、4次元になるくらいのインパクトを受けちゃったのよねww
だからこそ、深淵で、とても人間性が更に問われるこの世界に魅了されました。
パーソナルのコーチでも、ここまでは行けない人がたくさんいるくらい、行くのが怖くもある世界です。
人との関係性に触れるって、そのくらい神聖な領域。
あぁ、ここを探求する人になるということは、
私個人ではなくて、仕事も家族も、含む周りのすべての人と共に
幸せな未来を作っていくことだなぁ、それを体現していくということに腹が座った瞬間でした。
2020年 2月〜 コロナ禍の世界で、次の未来を描く 子供 12歳
突如、世界にあっという間に、コロナウィルスが蔓延し我々人類の生活は一変。
多くの会社が倒産し、失業者が増え、今までのやり方が通用しなくなりました。
でも、私の中では10年前の大きな揺らぎから変革してきた自分がいたので、
今回はあまり揺らぎませんでした。
グラグラグラっと足元をすくわれそうな時は、あるけれど、そこから自分は何を学び、何を選択して生きていくのか、ぼーっと生きていたら、きっと今回はパニックだったかもしれませんが、真摯に向き合い続けてきたこともあり、「うん、そうだよね、分かっていたことが露呈しただけだよね」という感覚でした。
揺らぎというものは、様々なものを顕にし、明確にします。
地震、天災はまさにそういう地球からのメッセージなんだと思います。
前回、10年前の天災で
私は「自分軸で選択する」という生き方を学びました。
怖かったけれど、一つ一つ選択して、自分の声に従って生きることを選んできました。
そして、相手と共に創る世界があることも学びました。
シングルマザーとして一人で頑張っている風ではなく、
本当に人を信じるってどういうことか、それを学んだのです。
今回のコロナという天災で
私は「地球のために何ができるのか」ということを考えはじめました。
次元はちょっと大きすぎて、私だけではどうにもならなそうなことですが、
「今の暮らし方は持続可能なのか」
「本当の繋がりと共に生きるとはどういうことか」
「資本主義の未来はどうなる?これが人類の最善の選択なのだろうか」
更に、広い視点から、
私たちは何に気づき何を行動していけるのだろう
早く行きたければ一人で行け。
遠くまで行きたければ、みんなで行け。
そんな事を思っているあの日から10年の月日を経た今。
まさか、10年前には予想できない未来にいます。