こんにちは。
Co-leadrsのSHIHOです。
私たちは、どれだけの夫婦の形や選択肢を知っているでしょう。
おそらく多くの方は、
自分の親の「夫婦像」しか知らずに結婚をして
それらしき「役割」をやってきているでしょう。
それも立派なお勤めです。毎日本当、お疲れ様です。
同時に、役割に縛られて、
子供の親であること以外に、なんで一緒にいるんだっけ?この人と。
というくらい当たり前の空気になっている場合には、
相手に幻滅しつつも、まぁ夫婦なんてこんなもんだろう、、、くらいに
半分あきらめている方も多いと思います。
そんな方に朗報です。
私は、最近2,3組のご夫婦にお会いしました。
なんと、
「妻」「夫」「嫁」「婿」
その役割を外そう!ということに合意したカップルです。
つまり、どういうことかというと、
婚姻関係的には、「離婚」 をしています。
同時に、子供を育て、経済的に補完しあうパートナーではあり続けるということです。
もう何年も、夫婦生活もなければ、恋愛対象として見るトキメキもなくなっている。
しかし、大事な子供のことを考えると
別れて、どちらかだけが引き取って生活をしていくことは大変だし、
誰もHAPPYにならない。なので、そのことについては合意していく。
そんな形です。
私たちの親世代にしたら、なんといういいとこ取り!?
と理解に苦しむ形かもしれません。
私たちの時代には、姑からの小言も聞いて
我慢もたくさんして修行を積んだものよって。
でも、パートナーシップを支援していて、
本当にそれぞれに必要な形というのがあるのです。
世間一般が「家族とはこう」と示しても、感情論としてついていかないことも大いにあるのです。
法律で定められているから、とか
じゃ扶養の義務はどうなるんだ?とか
はてながたくさん浮かぶ人もいるかもしれませんが、
それは自分たちで創って合意していくのです。
唯一無二の人生を生きるために。
相手に役割を求めない、
それによって精神的に楽になれる、
そして、その後どうしたいのかを自由に選択できる。
別の相手を探すもよし、
はたまた、夫婦でなくなったことで初めて自覚的に
相手の存在に感謝できるのであれば、
またくっつくもよし。
考えて選択するスペースが生まれます。
(結果またくっつくなら、別れなくていいじゃんという方もいると思います、
でもその人たちにとって、そのスペースがあることで考え始めらることがあるなら
それも一つじゃないかという選択肢ですよね)
何が正しい、何が間違っているなんて
いったい誰が知っているというのか。
(システムコーチングでも大切な考え方の基盤になっている「タオイズム」の精神です)
大事なのは、
自分の人生に今、この瞬間起こっていることは
自分自身の選択の結果だということ、
それを自分自身が引き受けるということ。
相手がどうだから、子供がいるから、
そんなエクスキューズは
自分の人生を相手に、子供に引き渡しています。
自分の人生を生きる覚悟、
ありますか?
それって、そうとう覚悟がいることですが
自分の人生に責任を持つってそういうことですよね。
いい悪いで周囲が判断することではない。
お互いにとってのベストを選択し、
それに納得して合意しているのであれば、
それにまさるものはないわけで。
結婚は永遠であるべき、という思い込み。
「一生幸せにします」と誓ったら、
変化してはならない、という思い込み。
ありませんか?(離婚させ屋ではないですwあしからず)
そもそも誰かが誰かを幸せにする約束って!?
それも一部の正しさであり、
全体にとっては一部です。
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ちなみに、私たち夫婦は、
婚姻関係にありますが、
「夫婦契約更新制」を導入しています。
毎年、結婚記念日に、
契約更新するかどうかを合意します(笑)
それは、浮気しちゃダメとか
束縛や制約を与えるような夫婦契約ではなくて、
あくまでも
一緒に居続けたいと思うかの意思確認です。
常に永遠はない、
という上で、
合意し続けるかどうかに選択的であるためです。