私にとって母親との関係というのは、生まれてから永遠のテーマで未だ、大きなテーマです。
私の母親は完璧主義できっちりさん。圧倒的な教育ママでした。
自信を持てるように、お勉強は人よりも先にマスターしておけば劣等感を持つことはない。そうやって、小学校に入る前から、塾に通うころまでずっと育ってきました。
●優等生期
そうは言っても、私もしっかりしていました。それが正しいんだ、他の選択肢は知らない。だから素直に勉強してました。それなりに優等生で(小学校5年くらいまで)
でも
母「やることやったの?」
私「・・・。あーもう、今やろうと思ったのに。そう言われるとやる気がなくなる。。」
私「わー、やっとこことまでできた!ね、みて。」
母「まだこんなところじゃない!できたうちに入らないわよ!」
こんなやり取りは日常茶飯事で、彼女の100点満点に私が到達することは永遠にないだろうと思っていました。でも常に100点満点を要求されるから、不満・否定しか言われない。99点をとっても、なぜ100点じゃないのかを責められる。
それがしんどくて、彼ら(両親)のモノサシで戦いたくなくて、勉強できるだけが、スゴイの?という価値観にシフトしていきました。(負け犬ですがw)
●反抗期
親が望むのは、公立の高校に入り、国立の大学に入ること。
でも私は、お勉強ができてもそれだけで人の価値は決まらないハズ!と思い勉強ができてもダサいのいやーとか言って。
だから、私学で制服がかわいくて、共学で、イケてて、一番偏差値の高い学校を、高校一覧の本で探して。あ、この学校ならファッション雑誌に載ってた!それで高校の進学希望先を決めたくらい。それは私にとっての初めての反抗だったかも。親の土俵で戦わないという。
大学受験もするかもとほのめかしていたけれど、実際に大学付属校でそんな流れはない。やっぱり大学名や偏差値で何がしたい!という想いがなかった私は、「受験」という選択肢を外した。
またしても、親の期待は外れたわけ。(しかも選択したなんて言ってるけど、親から言わせればできなかっただけ)
●自立したフリ期
そうやって、親の期待を自ら外して選択してきた訳だから、そう簡単に親に涙を見せられない。私は私の選択を後悔しちゃいけない。そう思って大学生活もあまり親に連絡せずに心配かけたり。でも自分の手で就職先をつかんで心配させてはいけない、自立した女性にならなくては!と息巻いていた。(学費や仕送り貰ってたのに…)正直、就職活動も順調で4ー5社から内定も出ていたし、自信もあって天狗状態で調子に乗っていた。私一人で生きていける、くらいに思っていた。(大バカ者です)新卒で入った会社では、トントンとお給料は上がっていくし、それはそれは偉そうなもんだった。(実力じゃなくて時代だっただけなのにw)
そんな時に初めての結婚をして、相手に乗っかるような生活はNO、私が稼ぎ続ければ大丈夫だと思っていた。だから勿論親には強い部分しか見せない。
●出戻り期
こんな長い長い天狗のような鼻をへし折られたのが離婚のとき。
今までのは虚像で、私は子供を連れて実家に出戻ることになり、それ自体私の価値観では受け入れがたいことだったけれど、子供を育てながら稼ぎ続けるためには、選択肢はなかった。
「親を頼るのも親孝行のひとつよ」
と母に言って貰ったのが救いだった。
でも本当はそれすら超有難い状態なのに、大バカ者の私は、超屈辱的で、ずっとずっと実家にいても「ここは私の居場所じゃない」と想いながら生きていた。母親なんだから、主体的にこの家の中の子供の住環境のことを考えろと言われ続けてきたけれど、一向に興味が持てない。だって、ここは親の城だもん。
●親との同居のコツを学ぶ
何度も「もうこんな家出る!息子と2人で暮らす!」そうバトルをする度に、一人で保育園の送り迎えをしながら、会社で仕事をしてその時間ですべてをやりくりする、私と息子の生活環境を考えると、ここで親とうまくやりながら生活することの方がベターだと分かった。(恰好悪すぎだけど)
その術として見出したのが、コーチングで扱うような人との関わり方。
親に感謝をする。認知をする。
そうやって、少しずつ関係性を創り直して楽になれた。シングルマザーと言っても、ここがうまくいくと、かえって楽なんだ!
そう、私は楽をしてきた。
気が付けば、親のしてくれることについてイライラすることも無くなったし、やりたいことがどんどんできるのも、親のお蔭と感謝も湧き、年に数回は家族みんなで旅行に行くほど関係性は良好に見えた。
ただし、この方法は諸刃の剣でもあった。
●依存関係
気が付かないうちに、それは私の中での家事・育児を依存している形になっていた。
母親も孫を思うがあまり、孫に対して母親以上の存在になっていた。
そう、あれだけ重たくて邪魔に感じていた漬物石のよう存在が、心地よくなり始めていた。
私も仕事をして、夜にセッションが入り、土日にワークショップが入り、尽く子供を親に預ける機会が増えていて、常に親になんてお願いをするかが最大のボトルネックではあったものの、いつの日か、感謝という言葉では逃げられない「依存」になっていた。
マイコーチとのセッションでハッキリ聞かれた。
「依存しているのは誰?」
「・・・・。私」
それに今、母娘ともに気が付いている。
これは、マズい。
ラインを引き直さなくては。
●依存からの脱却
今、母娘というシステムの変化の中にいて、お互いに変容をとげなければと思っている。
母にとっては、
私が甘え過ぎてやらない家事・育児の詳細なことをもっと心を鬼にして私にリリースしていかなければならなし、そもそも母は私の母だけれど、孫の母ではない。
私にとっては、
やりたいこと、仕事を言い訳にして、息子との時間や家のことを母にアウトソースするのを辞めて本来の姿に戻っていかないといけない。母がいない前提で動かなきゃいけないことたくさんある。
親が永遠に元気な訳でもないのだから、
いつか破綻する。
永遠はない。
分かっちゃいたけど、
本気で着手してこなかったこと。
本当にやりたいことにリミッターをかけずに行動することも、今まではできなかったことだから、アクセルを踏んだ。
でも今、その視点を選び直す転換期にいる。
シングルマザーだからできない。
※制限的自己
↓
シングルマザーでも周りとの関係性の作り方によってリミッターは外せる!
※周りに頼ることも学ぶ
↓
本当の母娘関係の上に
更にパワフルに生きる
※依存から本当の信頼関係へ
必要なことが起こっているんだろう。
本当の自立とは、相手と対立して1人で立つことでもなく、相手をただ認めて、Yesを言っているだけでもなく
違うことを違うと認め合いながら、それぞれの立場を否定することなく受け入れる。
これって簡単なようで難しい。
ある意味、それは自分の思う通りにならないということを認めなければならないことでもあって、お互いに受け入れがたいかもしれないけれど、胆力を磨いてそれをしよう。
100点が取れないことを理解してもらおうということを手放す。
大人らしく、スマートにやるということを手放す。
嘲笑われても、バカにされても。
覚悟をもって。
息子が教えてくれたの。
息子「なんかねー、格好つけてるのは、気持ちワルイ。変な気持ちになる。
オトコはよくね、格好つける時があるよ。大人もそう?」
私「ママさ、ばあばに怒られてばっかりだけど、そんなママでもいい?」
息子「いいよ、格好つけないで。そのまんまで。」
泣ける…(T_T)
よしっ。
私には味方しかいない!!!
今新しい母娘の関係性にシフトすることに挑戦中
