評価判断の住人たち、
それは私達みんなのことです。

どんなシーン、どんな人が思い浮かびますか?
・上司が部下に命令する時
・上司がココロの中で"こいつ使えない"と思う時
・業績に対する評価、ボーナス影響
・母親が子供を叱る時
・母世代からの育児方針への指摘
・本を読んでの感想
・上司としての器、研修講師への評価
・友人の彼氏彼女、夫妻への評価
・転職活動での通過、可否
・同僚の間での昇進スピードへの見解
・隣のうちの教育方針…
・旦那に対するダメ出し
・メール無視
……
いくらでも出てきますね。
どうですか?
「たいしたことないね」
「いや、それはダメでしょう」
「あり得ない」
「どうでもいいや」
強弱はあれど、多くがネガティブ。
(本当はいい評価もあるんですが)
する側もされる側もある。
評価判断の世界には、
以下のコミュニケーションの毒素が全部入ってます。
私は大嫌いな感覚です。
でもこの世界に住んでいます。
世界中の人の心が内なる平和に満たされなければ、逃れることはできない。
私はコーチになってから
他人を評価判断する必要があまりなくなって、楽になりました。
でも評価判断されることはあります。
でもね、前ほどダメージを受けなくなりました。その魔法の言葉を最後にお伝えしますね♡
評価判断することの逆って
なんだと思いますか?
私は
認知すること
だと思っています。
それは、受け入れ自分を曲げることや服従でもなくて、ただそうであると認める。
簡単なようでなかなか難しい。
だから日々意識していくのです。
ココロの中でジャッジしてしまうのは
しょうがない。人間だし感情にはいいも悪いもない。
でも反面同じだけの認知で返してみる。
コーチはその猛特訓をしています。

もし自分が
評価判断されてココロ乱れることがあれば
「それは正しいかもしれない。
でも全てではない」
と、思い出してみてください。