深夜のママ会vol.4開催しましたー!
お題はこれ。
【親子のカンケーあれこれ】
これほどまでに、
みんながみんな、自分の環境が特殊だと思っている(いた)というのも面白い。
自分ちは特殊。
周りは普通の家庭。
そんな思い込みは幻想でした。
親が離婚した人
父親不在の人
親と何年も連絡をとっていない人
お姑さんの精神的な細かさに翻弄される人
親と同居だからこそぶつかる人
距離を保つことで自分の幸せな選択する人
生活をしていく上で欠かせない関係な人
十人十色。
むしろ、
普通って何??
これに、なっかなか
言葉ではこんなにも簡単なのに
ウソみたいに気がつけない。
一般的にはという声に 締め付けられながら、勇気を振り絞って選択している感じさえあるけれど、普通はどこにも存在しない。
普通はこうなんだろう、という世の中の合意風なことを信じているだけ。
そもそも
普通なんて存在しないんだから、
自分の生きたいように選択するしかない。
それだけのこと。
過去のトラウマを引きずり続けていた時は、自分が今に居られなくて、ずっと被害者意識の中にいる。でも、じゃ今からどうしたい?という問いから、今にいられるようになる。
私はね、実は母が生活に欠かせない人です。シングルマザーで親と同居しているため、頼らないと幼稚園の送り迎えもできない。仕事もやりたいことも難しい。
だから、最大限敬意を払い、感謝をしていて最強のチームになりたいと思っている。
気を遣うとはちょっと違うんだよね。
もっとフェア。
昨日は話さなかったんだけど、
それでも葛藤もあって。
私が自由にやればやるほど、母が犠牲心に覆われる、というジレンマ。
母の自由を奪いたい訳じゃない。
今朝、母に大切なことが言えました。
私「来年は、どこか行きたいとことかあるの?」
母「いやー、まだ具体的にはねー。
だってパパ(父)が会社休めてもあんたが休めないと、いっくん(私の息子)がいるからねー、限られるわよね。」
私「うん、だけど実現できるかどうかは別としてやりたいことはテーブルに出してね。犠牲心に覆われるのは精神衛生上よくないし。なるべく調整したいから。ほら、それで今年もパパとママでボストン行けたじゃん。その方が私もしたいこと言いやすいから。」
母「うん、そーね。調整できるかもしれないもんね。そう言ってたってパパにも言っとくわ。」
これだけのやり取りなんだけど、私にはとても大事なやり取りに感じたんだ。
伝えておきたかったの。
実は私やりたいことがあって、それを母に伝えるのに物凄く躊躇してたんです。
でもその前提になる大事なこと伝えられた気がする。
自分の選択もしかり、
家族というユニットの最大幸福のために。