どうして悩みが尽きないのかな | 独断と偏見

独断と偏見

20年前に書いたブログがまだ生きていました。
すでに60歳を超えて老年になり、過去を振り返りつつ思うところを書いてみたいと思います。

 悩むことの中身は変わっても、いつまでたっても悩みは尽きない。


 たとえば、勉強の悩みとか学力の悩みは学生時代を過ぎればなくなってくる。

 不登校の悩みだって、学生という身分が亡くなれば

 もう悩まなくなる。


 誰にでも好かれたいという言う悩みも、ある程度大きくなれば「嫌われることもある」ってわかってくるし

 それも仕方ないと思えるようになっって

 以前より悩まななくなるかもしれない。


 適齢期を過ぎれば、それほど結婚できないことを悩まなくなるかもしれない。


 でも、

 あることで悩まなくなっても、また新たな悩みが出てくる。


 たぶん、将来仕事をやめれば

 会社の上司のことで悩んでいたのが馬鹿みたいに思えるかもしれない。

 でも、年を取れば今度は老後の問題が大きな悩みになるだろうし、介護の問題や自分の死についての悩みが多くなるだろう。


 今、自分にとって重大だと思っている悩みだって

 将来振り返れば、生きるか死ぬかの一大事ではなかったことに気付くだろう。


 つまりは、悩みなんてその程度のものってことなのかな。


 欲がなければ、たぶん悩みも少ない。


 僕は思うのだけど、

 悩むってことは要するに

 今を幸せにしたいって気持ちが強いからなんだろう。


 その時その時で、かけがえのない自分の今の人生を

 充実させたい。

 幸せだと感じたいから、悩む。


 だから、悩むこと自体悪いことじゃない。


 ただ、自分にこだわりすぎているから悩みから抜け出せない。

 自分に執着する度合いが大きければ

 悩みも深くなる。

 自分に執着すると、自意識過剰になって

 過剰になるとそれだけ心は傷つきやすくなる。


 傷つきやすくなると

 自分を守ろうとして

 本音を隠して周囲に合わせようとする。


 本音を隠していると、傷つかなくなるけれど

 なんだか自分の本心はよくないもののように思えてきて

 素顔の自分に自信がなくなる。


 そうなると

 幸せになれないのは素顔の自分に問題があるからだなんて、短絡的に結論付けてしまって

 自己嫌悪してしまう。

 自分で自分を見捨ててしまうわけ。


 なんだか話がおかしくなってきている。


 悩むのは「自分が幸せになりたい」という気持ちがあるからだよね。


 でも、自分で自分を見捨ててしまったら

 誰が幸せになるの?


 自分がだめだから幸せになれないのではなくて

 幸せになりたい自分を嫌悪しているから自分が

 幸せになれない。

 そして、自分を嫌悪してしまうのは自意識過剰だから。


 自意識過剰になるのは、人から見られる自分の姿を

 大事に思うから。


 幸せそうだとみられることよりも

 自分が幸せだと感じることのほうが大事だよね。


 もう一度、ゆっくり順序良く考えてみよう。