●尊厳の回復、創造性の解放のために存在する「間」
尊厳の回復、創造性の解放のためには「間」が必要だと俺は思ってます。
間か、、、
間というのは白でも黒でもない曖昧なものかもしれないけれない。けれども、そのどっちつかずな間という空間の中で、自分にとっての心地よさ、自分の願望みたいなものを、そうした判断を、我々の身体は自然に感じているんじゃないのか。
その意味で、自分がしている聖体というのもこれは同じ「間」みたいな存在だと捉えることができるし、様々なメディテーション法というのも「間」を作るという意味で重なりそうな気がします。
尊厳の回復、創造性の解放については、とにかく身体を緩めていけば大丈夫というのは無責任なように感じるかもしれないけれど、身体の中にこうした間を作ること(という仮説)。
ちなみに、俺は木が好きです。木を多用した(特に木材の経年の感じられるような)木造家屋はいい!
そしてその家屋には昔、縁側や茶の間、床の間という間の空間がありました。
内側と外側を区切るようなこの間という空間にいると、なぜか心がとても落ち着く、リラックスできた記憶があります(茶室もそのようなイメージ)。
また、俺は音楽も大好きです。特にドラムが好き(理由は知らない笑)で、ここにも確実に間が存在しています。
たとえば、身体の神経系で言えば、交感神経はファイト・オア・フライトという概念です。戦うか、それとも逃げるかという二項対立。
けれども逆に、副交感神経(具体的には腹側迷走神経)を優位にさせていくと、そこに「間」が生まれます。
すると、身体に穏やかさ、柔らかさ、静けさ、シンプルさなどが広がっていくのを感じられるようになる(つまり、このように尊厳の回復、尊厳の身体が起こりはじめます)。
自分のwant to、ゴールの方向のようなものを身体で自然な流れで感じられるようになっていきます。
もちろん、その間があることで、「これ!」「こっちの方向!」という曖昧さのないスッキリした気づき、直感もまた生まれてくるようになります。
そして、副交感神経が優位な状態であるということはつまり、脳の前頭前野が優位になることでなので、これは我々のクリエイティブ性が高まることも意味しています。
尊厳の回復、創造性の解放と言ったけれど、我々はもともとそれらを持っている、ちゃんと内にそれを秘めている、少なくともその器は俺たちの中にちゃんとあると俺は考えます。
それが俺の観ている世界であり、一人一人宇宙という概念で言えば、それが俺の宇宙(Universe)です。
また、一つの宇宙が複数の宇宙と「ゴール」という一点で交わることで、エントロピーは増大します。