内部では激情が渦巻きあり、それが時に無意識のうちに剥き出しになる。

抑えられない感情。

基本的には感情のコントロールができる人間であると思ってきた。

しかし、それは『我、関せず』のことで、ある一線に触れられると、どうしようもなくなる傾向がある。

そういった性質は小学生の頃から変わりないようだ。

異常に激するか、異常に冷静か。

なぜ、こんなにまで激しく難しい性格であり人間関係を築こうにも障害を感じるのか。

生まれ持った性質に加えて親からの幼少期の虐待や『しつけ』と称して受けた暴力や暴言は酷くひきこもり人に悪影響を及ぼしたものと思われる。

怒りと憎しみ、それのみが内部に充満していく。

怒りや憎しみは、いつかどこかで何らかの形で必ずあらわれてしまう。

親から教わったものは、感情をぶつける手段は暴力であること。

気づけば、親と同じ自分を見てしまう。

ごく自然な形で。

人に話せないような『悪い』こともやってしまった。

その全てを親の育て方や虐待のせいだといって罪を擦り付けているのではなく…。

 

同年齢の子と比べて、いくぶん語学的に劣っていたことに今更ながら気づく。

それは残された日記を読んで気付いた。

いつまで経っても小学低学年のような文章しか書けていない。

とりわけ、勉強の成績が悪すぎたということはないのだけれど。

表現力に乏しく言語数も同級生と比べると断然違った。

元々喋らない性質で生まれたのかもしれないし、元々感受性が強く繊細すぎる神経の持ち主であったのかもしれない。

加えて、乳幼児期時の放任と虐待で、脳は生き延びるための発達を遂げたのだろうか。

神経は研ぎ澄まされ、人の気持ちや感情を読み取る能力に長けた。

それが、当たっているかどうかは別として。

そうやって、防衛力を身につけた。

生き延びるために無意識のうちに体得したといえる能力である。

そして、その能力は社会で生きるためには生きづらくさせるだけのものであった。

感受性が強く、感じ取る能力は優れていても、適切な方法で表現する能力を身につけることはできなかった。

 

虐待を受けなければ、どんな違った人生があっただろうかとつい考えてしまう。

だけども、それを考えたところで自分を取り戻すことはできない。

自分とは、虐待を受けて育った事実を含んだ現在の自分なのであるから。