なぜ、皆生きているのだろう。
自分の自殺する理由、読み返してみれば、すべて自動車学校のせいみたいになっている。
それはやはり違うのである。
将来的な絶望のためである。
これが限界だ。
気分的なものであっても構わない。
ただ生きる方が死んでしまうより怖い。
もっと怖いのは、自殺未遂である。
あぁ、どうかシリカゲルで私を死なせてもらいたい。
苦しいだろうか。
死へ至るための、少しでも手を煩わせないための儀式を行う。
決行は5日の夜。
最後の(※母からの)電話に何くわぬ顔で出る。
あぁ、なんて親不孝者なのであろう。
そうだ、最後にアルバムでも見ておこう。
実際に死は近づく。
自分さえ実行すれば、未遂にならなければ・・・未遂というレッテルを貼られて生きてはいられない。
今度こそ成功することばかりを考えるだろう。
もちろん免許なども取れまい。
いよいよ生きた屍になるほかないのだ。
シリカゲルよ私を死へ導き給へ。
さっき、『シリカゲル』を調べてみたが、『毒性のもの』とはなかった。
が、やはり大量摂取すれば死ぬのではないのか。
確実に死なねばならない。
検討の必要あり。
20時過ぎ、(※祖母の介護に泊まりで行っている)母から電話があった。
父は私のことを信用している。
こんな自分を・・・何くわぬ声で自分は一番身近な大切な人達をあざむき、6日、死んでしまうのか。
自分の生きてゆく無気力さと、人をないがしろにしてまで死ぬこと、どちらが辛いだろう。
それでもお前は自分が生きたくない意志を選び取るというのか。
こんなにも身近に心配してもらえる人達がいるというのに。
それでも死にたいか。
死にたいのは確かなことだ。
しかし、母の声を聞けばなんて悪をなそうとしているのか、思いまどう。
自分を守ってもらえるだろうか。
この先、何度も失敗したとしても追放されはしまいか。
やはり自分は、我がままにはなれないのだ。
悪く言えば、死に臆病なだけだ。
でも人間は、見栄えよく言えば、人のために生きていけるのかもしれない。
裏返せば、死ぬことによって人を傷つけてしまうことが苦しく、わずかばかり、生きた屍でも生きている方がましだ、とでも言おうか。
自分のために一応生きるのである。
生きていけるだろうか。
自分がどんなに人を恐れ、どんなに自意識過剰になり、それがために苦しみ、少しも前進しなくても生きていられるだろうか。
何をやっても挫折ばかりで、周りの者にあきれられても、白い目が増えても自分は自分でいられるだろうか。
今回もやっぱり死ねなかった。
このままであると、目の前の津波に死んでしまいそうだ。
対処出来ずにのみ込まれてしまう。
もう、怖いものだらけでどうにもならない。
確かに自分の意志でやって来たことだ。
でも怖くて、怖くて仕方がない。
乗り越えれば開けると言う。
でも、そう出来ないこともたくさんある。
アルバムの中のような、そんな場面を持つことが出来るであろうか。
この手で子どもを死に至らしめはしないか。
憂うつで仕方ない。